一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【142】

2013-04-18 09:29:18 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【142】
Kitazawa, Masakuni  

 新緑の季節に「突入」という感じである。狭緑から銀色や薄茶色にいたる新緑の諧調が、微風にゆれて色彩の交響曲を奏でている。鮮明な白や赤の石楠花の花も盛りを過ぎ、いつもなら早くても4月下旬、ふつうには5月の連休というツツジが早くも満開であり、萌える新緑を背に鮮紅色や純白の花の絨毯を織りなしている。残念ながら連休には散っているにちがいない。ウグイスやメジロ、ヤマガラやヒタキの類が盛んに鳴き交わしている。

マーガレット・ミードの復権  

 1980年代から90年代にかけて、アメリカでは人類学界を超えた広範囲の知的世界に衝撃をあたえた「ミード対フリーマン論争」というものがあった。  

 このフォーラムの「性差とジェンダー問題」セミナーでの私の報告のなかでも取りあげ、のちに「性差とジンダーの構造」と題する論文として日本語ジェンダー学界機関誌「日本語とジェンダー」vol.Ⅷ(2008)に掲載されたのでぜひ参照していただきたい。  

 それは、フェミニスト人類学のすぐれた先駆者であるマーガレット・ミードを、アカデミズムの枠を超えて一躍有名にした著書『サモアの青春』(1928)が、情報提供者にかつがれて決定的な誤りを犯し、サモア文化への無知をさらけだした本だとして、オーストラリアの人類学者デレク・フリーマンが批判し、攻撃した「事件」である(Derek Freeman. Margaret Mead and Samoa; The Making and Unmaking of an Anthropological Myth. 1983.さらに徹底した攻撃はid. The Fateful Hoaxing of Margaret Mead; A Historical Analysis of her Samoan Research.1999.である)。  

 戦後『サモアの青春』がベストセラーとなり、知的大衆にまで巨大な影響をあたえたのは、厳格なピューリタン的性道徳に縛られ、悩み苦しんでいた大学生などアメリカ白人の若い両性に、きわめて開放的で自由なサモアの若い男女の性のあり方を知らせ、人間にとって性文化とはなにかを自問させ、60年代末の「性革命」をいわば予告したからである。  

 同じくピューリタン的な育児法から子供たちを解放しようとしたベンジャミン・スポック博士の育児書とともに、これはアメリカの戦後リベラリズムを代表する知的著作となった。  

 1978年にミードが死去したあと、フリーマンはサモアにおいても性道徳は厳格であり、処女性が重んじられている、ミ-ドは情報提供者の軽い冗談に乗せられたにすぎない、ときびしい批判を展開した。さらに彼はミードのサモア滞在中の若い案内者であった女性にインタヴューをし、彼女が毎晩違う男と寝ているという冗談をミードに話したという「ミードの致命的捏造」の決定的証言をえたと、アメリカ人類学雑誌その他で大々的に宣伝をはじめた。  

 ミード批判は人類学界だけではなく、アメリカの知的社会やメディアに大きくひろがることとなり、ミードの学問的名声は地に落ちるにいたった。  

 だが近年、フリーマンの批判や攻撃に疑問を抱き、国会図書館や大学図書館などに残されたミードのフィールド・ノートなどの資料、あるいは当のインタヴューの記録や映像などをくまなくあたり、フリーマンこそが著名人を攻撃することによって世に出ようという学問的詐欺を働いたと反批判する学者たちがあらわれた。  

 その一人がポール・シャンクマンである。彼は、この若い女性が儀礼を執行する厳格なタイトル保持者であることを知っていたミードが、性の問題について彼女と話をするはずはないし、また彼女を情報提供者とはみなしていなかったとする証拠をそれらの資料からあばきだし、また87年のインタヴュー時に86歳であったこの女性の記憶がかなりあいまいであり、通訳を兼ねたサモアの高官が質問をかなり誘導的に行ったことも突き止めた(ちなみに通訳を必要としたフリーマンに比べ、ミードやシャンクマンはサモア語に堪能であった)。  

 シカゴ大学出版局(ウェンナー・グレン財団後援)から発行されている「カレント・アンスロポロジー」誌に掲載されたこのシャンクマンの論文に6人の学者がコメントを寄稿しているが、フリーマンの同僚である一人(きわめて微妙ないいまわしで、シャンクマンを否定しはしないが)を除き、すべてがこれを評価し、フリーマンの行為を「学問的詐欺」とさえいっている。ミードの復権は決定的である。

知的新保守主義の興隆と没落 

 そのコメンテイターのひとりハーバート・ルイスが、フリーマンの攻撃は「社会生物学者、進化心理学者、遺伝子決定論者などといった筋の学者たちに、彼らの問題に用いる絶好のステレオタイプ的武器をあたえた」と主張しているのが面白かった。  

 この日記【131】でもとりあげた進化心理学者スティーヴン・ピンカーの名もあがっているが、フリーマンとまさしく同じ時期に登場してきたこれらの論客や思想は、サッチャーやレーガンの政治を支える形で登場した知的新保守主義あるいは知的新自由主義を代表するものであろう。  

 ヒトについての古くからのルソーとホッブズの対立、つまり共生する「高貴な野蛮人」と弱肉強食の「ヒトはヒトにとって狼である」(動物としての狼は自然と共生する集団的友愛の実践者である)との対立いらい、「法と秩序」の擁護者たち、あるいは狂信的合理主義者たちはホッブズを支持し、道徳やルールは法律によって外から、つまり国家によって強制すべきであるとしてきた。20世紀後半を支配してきた新ダーウィン主義の遺伝子決定論によって、この新保守的・新自由主義的イデオロギーは「科学的に」証明されたとして猛威をふるってきたのだ。

 アメリカの戦後リベラリズム、それに呼応するわが国の戦後民主主義については私も批判的であり、この日記でもたびたび主張してきたが、それはこれらの思想にかぎらず、近代の根底に宇宙論や自然観、それと不可分の身体性が欠如していることに対してであり、彼らとはまったく異なる。  

 それとともに悲しいのは、「高貴な野蛮人」であるはずのサモアのひとびと、とりわけ高等教育を受けた知識人や行政府高官たちが、『サモアの青春』に描かれた自由で開放的なサモア文化や性道徳を、恥ずべき過去の因習として葬ろうとしていることである。フリーマンに行政府の高官たちが助力したのも、この彼らの「脱植民地的近代化主義」とでも名づけるべき知的・イデオロギー的衝動からである。わが国の戦後民主主義者たちの一時期の言動を思い起こさせる。  

 東日本大震災時に示された被災者たちの「高貴な言動」こそ、いまなおひとびとの無意識の奥深くに眠っている日本のほんとうの文化や伝統の現れにほかならなかった。われわれの内なる「高貴な野蛮人」を自覚しなくてはならない。それが近代を超える文明の道を照らす導きの松明なのだ。

Cf. The “Fateful Hoaxing” of Margaret Mead; A cautionary Tale by Paul Shankman. in Current Anthropology vol.54 No.1 February 2013.