一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【132】

2012-10-16 08:54:22 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【132】
Kitazawa, Masakuni  

 急速に秋が深まっている。桜は落葉し、柿の葉が赤く色づきはじめ、逆に9月末に満開のはずのキンモクセイの花が盛りだが今年は香りが薄く、気象の異常を知らせている。秋の夜の虫の音ももはやかそけく、鈴虫の声は絶え、コオロギや、カネタタキ、カンタンなどが静かに鳴くのみである。

身体性とはなにか  

 知と文明のフォーラムでは12月、「身体性とはなにか」というセミナーを計画している。環境破壊の深刻さや地球温暖化による異常気象の激化など、近代文明がもたらした地球の生態系の劣化は、人類の生き残りにもかかわるため、一般にもひろく認識され、危機感が高まっているが、近代文明がわれわれ人間の身体や精神の深刻な劣化をもたらしていることはほとんど知られていないし、議論も巻き起こっていない。  

 それは根本的には近代文明を支えてきた価値観や思想あるいは哲学に、「身体性」つまり人間の思考と大自然や宇宙を結ぶ人間の「内なる自然」概念が決定的に欠けていたことに由来する。それが自然資源の収奪を許し、環境破壊をもたらしたことはいうまでもないが、同時にそれはいまや、精神活動をも含む身体全体の劣化や異常をもたらし、日常的に生きることさえ脅かす事態となっている。  

 かつて1971年にアメリカを訪れたとき、シカゴで黒人の人権活動家エラ・トンプスン女史にインタヴューしたが、それが終わって雑談のおりに、「先進諸国のなかで日本はなぜそんなに癌の発生率が低いのか?」と質問されたことがある。私は生半可な知識ではあったが、たぶん伝統的な食生活のせいであるだろう、とりわけワカメなど海藻を食べるのがいいのでは、と答えた記憶がある。  

 1960年代では、日本はそのような状況であったのだ。ところがいまやどうだろう。国民2人に1人は癌患者であり、3人に1人は癌で死亡するという癌発生率最大の癌大国となったのだ。なぜ?  

 この伊豆高原日記【51】でも書いたが、その理由は1960年代後半からはじまった経済的高度成長と、それにともなう農業での化学肥料や農薬の大量散布、長距離輸送や保存という流通の都合のための多種類の食品添加化学物質の使用がはじまったことによる。日記51に記したが、ホピで出会った白人女性の環境運動家に「日本では、アメリカの7倍の農薬が使われているというがほんとうか?」と質問され、当時21世紀クラブという政策集団を主宰していたこともあり、農業問題にも詳しかったので「いや、10倍だ」と答え、「テン・タイムズ!オオ・ノー!」と絶句させたことも鮮明に覚えている。直接農薬中毒となった青木やよひの例もあるが、残留農薬や食品添加物を長期間摂取しつづければ大腸癌や胃癌、消化器系の内臓癌にならない方が不思議である。  

 肺癌や呼吸器系の癌は、いうまでもなくタバコとりわけ紙巻きタバコ、および家庭で使う消臭剤や風呂場のカビ取りをはじめとする薬品、大都会や工業地帯などでは車や工場の排気ガスなどの大気汚染にほかならない。空気のいい伊豆高原に住んでいると、ときに仕事で東京にでたりすると喉や気管支がおかしくなり、ひどいときは翌日痰に血が混じっていたりする。  

 癌治療の進展には医学界もメディアも血眼であるが、癌発生の根源であるこれらの現象を無意識的あるいは意図的に無視し、黙殺して、癌や難病の発生拡大に加担している。  

 最近フローレンス・ウィリアムズの『乳房:自然史・非自然史』(Florence Williams. Breasts; A Natural and Unnatural History. W.W.Norton & Co., New York)が出版され、高く評価されている(New York Times Book Review, Sept.16,2012)。  

 つまりかつてレイチェル・カースンが『沈黙の春』(1962年)を書き、農薬などの化学物質による環境破壊すなわち外部汚染の恐るべき状況を告発し、大きな反響をよんだが、ウィリアムズは化学物質による人体の内部汚染の恐るべき状況を告発したというのだ。  

 乳児にとって母乳は、他のすべての人工栄養剤に勝る最良のものであるが、その母乳が無数の化学物質に汚染され、乳児に影響しているだけではなく、女性の乳癌の驚くべき拡大をもたらしているという。「あなたの母乳にはロケット燃料が含まれている」という警句は嘘ではない。  

 母乳は、人体が摂取する飲料だけではない栄養水分を乳腺が吸収し、つくりだしていくが、それとともにそれらの水分や唾液がとらえる、飲食物や大気に含まれる残留農薬から化粧品や消臭剤やカビ取り薬などにいたるすべての吸収物の化学成分をも取り込んでしまうからである。そのうえ飲料水に問題のある地域も多い。原発や核廃棄物による汚染もそれに輪をかける。  

 このような人体の内部汚染が精神活動にも影響を及ぼすのは当然であろう。現在の恐るべき社会状況がもたらす強烈なストレスは、いうまでもなく鬱病をはじめとする精神的疾患の主たる原因だが、こうした内部汚染はストレスに対する抵抗力を失わせる。  

 近代文明が「身体性」を喪失していることの思想的・哲学的意味についてもこの日記ではたびたび触れたが、それを含め、セミナーではこの問題を徹底的に追求してみたい。