一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【97】

2011-03-17 17:06:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【97】
Kitazawa, Masakuni  

 三月も半ば過ぎだというのに、真冬並みの寒さである。被災者のみなさんにはほんとうにお気の毒だが、この冬型の気圧配置とその強い北西の季節風のお蔭で、壊滅的な福島第一原発から漏れている放射能の大半は太平洋に吹き散らされているはずだ。 

 伊豆も緋寒桜は散りかけ、駅前の大寒桜(オオカンザクラ)が淡い緋色の花をつけているが、それ以外は冬景色といっていい。二月の末か三月のはじめには聴けるウグイスの初鳴きが、こんなに遅れているのも経験したことがない。それに代わって今朝、きわめて美しい小鳥のさえずりで目が覚めた。鳥の名を知らないのが残念だ。

東北関東大震災について 

 東北地方がその上に乗る北米プレートが、その下へと太平洋プレートがもぐりこむ日本海溝に沿って5百キロも破断したM9.0の今回の巨大地震・巨大津波は、日本の歴史のうえでも空前の被害をもたらした。亡くなられた方には心から哀悼の意をあらわし、また被災者の方々が1日も早く人間的な生活を取り戻されることを祈りたい。 

 利便と快適さと、そのための経済合理性のみを追求してきた近代文明とその高度なテクノロジーが、いかに脆弱な基盤の上に築かれていたか、思い知らしてくれた大災害である。原発や石油化学プラントをはじめとするそのためのインフラストラクチャーが、この災害をさらに拡大しているのも歴史の皮肉というほかはない。1960年代末から近代文明の転換を訴えてきた私としては、わが国のみならず、世界のひとびとがこの大災害を教訓として、やがてもっと恐ろしい人工的な災厄に見舞われるかもしれないこうした文明の限界を肝に銘じ、みずからの生活を変えることを含め、文明の根本的転換へと動きはじめることを願いたい。 

 1975年、はじめてのホピの長期滞在の前に、メキシコの国際婦人年に参加する青木やよひと別れて私は、ニューヨークとワシントンDCで、原発の危険性についての資料を収集するとともに、シエラ・クラブをはじめいくつかの環境運動団体の幹部たちにインターヴューを行い、原発の危険性とあるべきエネルギー政策について多くを学んだ。帰国後ホピについての本を書くとともに、原発反対の主張を展開したが、そのころすでに政府や自民党をはじめ多くのメディアが原発推進に大きく舵を切っていた。 

 ただ当時、原発反対の公明党やその支持団体創価学会のみが、公明新聞や雑誌「公明」、「潮」や「第三文明」といったメディアに書く場をあたえてくれた。「原発推進は朝日新聞の社是です。この方針にしたがって記事を書くように」という趣旨の論説主幹岸田純之助の通達が社内に配布されていた朝日をはじめ、各新聞やその系列雑誌などすべてから書く場を拒否された。84年のホピ紀行の折、ナバホのウラニウム鉱山で働いていたナバホ鉱夫たちが、低線量長期被曝によって多くの死者をだし、ガンに苦しんでいるのを目の当たりにした私にとって、村上陽一郎氏が読売新聞に書いた「原発はクリーンなエネルギー」という趣旨の記事に我慢ができず、読書欄担当の記者(私は読書委員をしていた)を通じて、ようやくナバホ鉱夫たちの悲惨を伝える反論を掲載させるにいたった(それでも原発反対の部分は削除された)。 

 それ以後、奇妙なことに(おそらく読者拡大のために)創価学会・公明党アレルギーのもっとも少なかった読売からも排除されるにいたった。 

 こうしたことを長々と書いたのは自己満足のためではない。すでに60年代から70年代にかけて、世界の心あるひとびとや知識人たちが、致命的な危険を内包する原発推進はエネルギー政策として最悪の選択であることを訴えていたにもかかわらず、またその後スリーマイル炉心溶融事故や恐るべきチェルノブイリ原発大事故を経験したにもかかわらず、日本を含めた世界の多くの政府が、この最悪の選択をさらに進めようとしている、この迷妄に警告を発したいためである。 

 しかし、この大災害で心に残ったことがある。それは日本人のモラルの高さである。東京などむしろ安全な各地で食料品の買いだめなど醜いパニックが存在するが、被災地では恐るべき状況であるにもかかわらず、人々は礼儀正しく、感情も抑制し、互いに助け合い、慰めあい、自分たちでできることを黙々とやっている。比較的治安が良いといわれていたニュージーランドでさえ、クライストチャーチの震災では、商店の略奪などが起きていたし、その他の国々でも災害時、略奪や暴行、食料や飲料の奪い合いなどはあたりまえと思われているのに、このすばらしい光景である。世界各国のメディアがこの光景に驚き、称賛しているのも当然である。 

 私が『感性としての日本思想』(2002年藤原書店)で訴えたかったことも、このすばらしい「日本人性(ジャパニーズネス)」が、『古事記』以来の文化の基本にあったことを示したかったからにほかならない(韓国版への序文は次回に掲載します。訳者の金容儀教授からも震災のお見舞いメールが届いています)。皆さん、日本人であることを心から誇りに思い、自信をもってください。

量子のもつれ 

 これで終了しようと思っていたが、地震前から読みはじめ、読み終わったルイーザ・ギルダーの『量子のもつれ;量子物理学が生れ変ったとき』(Gilder, Luisa. Quantum Entanglement; When Quantum Physics was Reborn,2008)があまりにも面白く、前回紹介したマンジット・クマールの本とまさに対称となる内容であるので、ここに紹介を兼ねた「覚書」を記しておく(昨夜は興奮して寝られなく、明け方の3時までベッドでメモを取っていた)。 

 量子力学とそのコペンハーゲン解釈が、一時期絶対的な権威となったことは前回記した。だが、この解釈に反対し、古典力学の支配する巨視的世界と確率論的な微視的世界とを統合的に認識しようとする努力は、シュレーディンガーをはじめ、かなり長期間つづいていた。その統一理論の探究者たちを、コペンハーゲン解釈派は半ば軽蔑をこめて「隠された変数派」と呼んだ(微視的世界に隠されている変数を把握できれば統一理論は可能だと考えているとして)。 

 だが徹底した論理実証主義者といっていい高名な数学者フォン・ノイマンが、量子力学においては「隠された変数」は存在しない、という数学的証明をして以来、コペンハーゲン解釈は疑いようのない真理として物理学界を支配した。 

 1935年、アインシュタインはそこに一石を投じた。プリンストンでの若い弟子ポドルスキーとローゼンとの3人の討議を、英語に堪能なポドルスキーがまとめた論文「量子力学による物理学的リアリティの記述は完全と考えうるか?」である。もちろん当初は黙殺に近い扱いであったが、それはのちに彼らの頭文字を連ねたEPR効果またはEPR逆理としてコペンハーゲン解釈の虚をつく巨大な影響力をもつにいたる。 

 シュレーディンガーはもちろん賛同したが、この論文に心を奪われたひとりは若きデーヴィッド・ボームであった。オッペンハイマーの弟子としてマンハッタン・プロジェクト(原爆製造計画)に携わった彼は、学生時代一時アメリカ共産党にかかわったがゆえに、戦後悪名高い議会の非米活動委員会に召喚されたことに加え、コペンハーゲン解釈に異議を唱える異端として各大学や学界からも排除され、ブラジルのサンパウロ大学にかろうじて職をえるにいたった。 

 ボームが異議を唱えたのは、コペンハーゲン解釈が自明の前提としていた素粒子の独立性と局所性であった。つまりすべての粒子は相互作用をするが独立した点(ゼロ次元)であり、その活動は局所的、つまり大域にはひろがらない、というものであった。だがすでにシュレーディンガーが指摘し、EPR論文でも取りあげられたように、相互作用をする粒子は「もつれ(インタングルメント)」という現象を示すことが知られていた。ボームはこの問題を追求し、量子(粒子のエネルギーの束)は独立的ではなく、非局所性をもつことを証明した。つまりコペンハーゲン解釈のよって立つ「事実」に痛烈な一撃をあたえたのだ。 

 理論的にそれを決定的にしたのは、アイルランド生まれの物理学者ジョン・ベルである。ベルの定理またはベルの不等式とよばれる数式を確立した彼は、それによって量子のもつれを完全に定義しただけではなく、粒子の非独立性・非局所性を証明し、あまつさえフォン・ノイマンの「隠された変数の不可能性」の証明が誤っていることさえ証明してしまった。これは画期的な業績である。ベルはコペンハーゲン解釈派の牙城であり、当時最大の加速器を備えたジュネーヴのCERN(ヨーロッパ核探求施設)の研究者であったが、所内では腫れものに触るようなあつかいであったという。 

 EPRとボームとベルの諸論文に魅せられる若い研究者や実験物理学者たちが、80年代続々と登場する。その多くはボームと同じように「学界難民」で苦労していたが、実験施設をもつ大学につとめる友人たちとひそかに共同し、手製の実験器具でEPR=ボーム=ベル理論の実験をはじめる。たとえば長い左右の光子管(フォトテュ-ブ)の中央に高温でカルシウムなどの原子を光に相転移させる装置を置き、それによって光子管内に出現した光線に、たとえば左端でレーザー・ビームを当てると、全く何もしない右端で同時に光の色彩変化が出現する。仮に光子管の両端を宇宙の果てにまで伸ばしても結果はおなじである。つまり距離のいかんにかかわらず、量子のもつれは現れるのだ。それだけではない、もつれた量子aは別のもつれた量子bと相互反応によって量子系のもつれを起こし、そうやって世界は量子のもつれから生成しつつあることさえ判明してきた 

 コペンハーゲン宗からの改宗者が続々と現れ、さまざまな実験を試みたが、すべてが同じ結果をもたらし、「量子のもつれ」とそれによる粒子の非独立性・非局所性が実証されるにいたった。 

 多重世界解釈が世界および宇宙の「解釈」によってコペンハーゲン解釈とそれによる標準理論をくつがえす「革命」を起こしたとすれば、量子のもつれはコペンハーゲン解釈と標準理論を、理論の前提とする「事実」においてくつがえすことで「革命」となったのである。いまや「相補性」(二元論を正当化するニールス・ボーア法王[ギルダーの言]とその信者たちの唱える念仏!)を隠れ蓑としてきたコペンハーゲン解釈の鉄壁と思われた牙城は、音をたてて崩壊しつつある。 

 青木やよひがベートーヴェン研究で、作曲家の人格や世界観がその作品に決定的な影響をもたらしていることを証明し、作品と作曲家自体はなにも関係ないとする「絶対音楽」の神話(これも音楽的論理実証主義である)をくつがえしたが、理論物理学や数学というもっとも抽象的な学問分野でさえも、研究者の人格の内奥や世界観がその理論に決定的な影響をおよぼすことが、この本を読むと明かとなる。 

 アインシュタインのガーンディやスピノーザ哲学、シュレーディンガーとボームのインド哲学(苦難の果てにボームは、クリシュナムルティを媒介としてインド思想と出会い、救われる)など、彼らの物理学的一元論とその世界観または思想としての一元論とのこの絶妙なハーモニーは深く考えさせられる。 

 近くストリング理論の最先端にいるブライアン・グリーンの『隠されたリアリティ』という本が手に入る予定だが、いまそれを心待ちしている。これは私が現在探求している主題そのものをタイトルとしている。いよいよこれらをもとに世界像の大転換について本を書く意欲が、ふつふつと沸いてきた。