一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【90】

2010-11-27 09:46:47 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【90】
Kitazawa, Masakuni  

 樹々は半ば葉を落としたが、わが家の雑木類はまだ褪せた緑から黄や橙と、日差しに映えて微妙な彩りをみせる。昨日は青木やよひの一周忌で花などをいただいたが。あの数日のことをありありと思い浮かべると、あっという間に一年が過ぎたという感慨である。ときどき淋しくないか、と問われるが、鳥や虫や動物(敵であるタイワンリスも同等な生物である)、あるいは植物たちとじっさいにも声を交わしているので、そうした思いを抱いたことはない。ひとびとは人間だけ、あるいは家族や友人だけが仲間だと思っているから淋しくなるのだろう。

北朝鮮軍の「暴挙」 

 韓国のヨンピョン島への砲撃で、大きな衝撃が走った。市街地をも巻き込んだ砲撃で死傷者がでたこの事件は、明白な停戦協定違反であり、弁護の余地のない「暴挙」であることはいうまでもない。国連の安保理事会に提訴されるのも当然だろう。 

 だがこの事件を招いた責任の一半が、直接的には米韓、間接的には日本にもあることを自覚しなくてはならない。すなわち北朝鮮と国交のないこの3国は、合衆国はブッシュ政権以来であるが、ここ数年北朝鮮との国交回復に向けてのなんのジェステュアもサインも示すことなく、ひたすら6者協議での北朝鮮非核化を求めてきた。韓国のイ・ミョンパク(李明博)政権は、中道右派ではあるが、北朝鮮政策はあきらかにタカ派である。とりわけ哨戒艦沈没事件以来は、臨戦態勢といっていいほどの姿勢を保ってきた。東海岸での通常の米韓合同演習だけではなく、黄海上での合同演習を計画し、米軍も昨日原子力空母ジョージ・ワシントンを参加させるべく、横須賀を出港させた(わが家からみはるかす大島との海峡を通過していった。双眼鏡で甲板上の航空機までみえる)。 

 多くの国家がそうであるが、とりわけアメリカや旧ソ連といった「超大国」は、他者というか他国の痛みにきわめて鈍感である(残念ながら超大国に成長しつつある中国がそうなりつつあるが)。たとえば冷戦期に、ソ連が戦術核兵器搭載の原子力空母をもち、キューバとの合同演習だと称して、フロリダから目と鼻の先のカリブ海に出動させたとしたら、合衆国政府と国民はどう感じただろうか。 それと同じことが、中国山東半島や北朝鮮の目と鼻の先の黄海で起ころうとしているのだ。両国がこれを軍事的挑発だと思うのは当然である。この先また北朝鮮のどのような逆挑発が起こるか。 

 政府が北朝鮮や中国の脅威論をまくしたてるだけではなく、マス・メディアまでがそれを煽り立てているのはどういうわけか。たとえば、中国の艦艇が外海にでるため琉球列島をよこぎるのは当然だし、他国の領海であっても戦闘艦艇の無害航行は国際法上あたりまえの行為である。わが国の自衛隊がそれをひそかに監視するのは、これも通常の行為であるが、通行を軍事挑発であるかのように報道することは、わが国のナショナリズムを煽る危険な行為だといわなくてはならない。 

 今回の事件では、当事国相互の冷静を呼びかけるのは当然であるが、私はむしろわれわれのマス・メディアに、客観性を取り戻すべくそれを呼びかけたい。

 詩集出版祝賀会のお礼 

 『目にみえない世界のきざし』のささやかな祝賀会を、11月19日に開いていただいた。フォーラム・メンバーにも都合の悪い方が多く、わずか17名の参加であったが、1960年代末日本最初のヒッピ-・コンミューンの創始者であった長本光男さんの経営する自然食レストランも雰囲気が良く、杉浦康平さんや西村朗さんの出席もあって、心温まる会であった。それぞれのお話も心に染み入るもので、死後著作集にでも入れていただければ幸いと思っていた詩集が、これほどすばらしいデザインで出版され、多くの方に喜ばれたことはほんとうに幸せと思っている。皆さんありがとうございました。

 なおこの詩集の紹介は、このブログでも掲載の予定であるが、出版を強力に推進していただいた池田康さんの詩誌「洪水」のブログにも掲載されている。お読みいただければ幸いである。