一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

楽しい映画と美しいオペラ―その16

2008-11-25 00:50:50 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その16

         
        
ハイドンのオペラはおもしろい!
                                
北とぴあの『騎士オルランド』  

 心と身体をリラックスさせたいと思うときよく聴くオペラは、やはりモーツァルトやロッシーニのものだ。ヨハン・シュトラウスやレハールもいいし、最近はヘンデルも加わったが、まさかハイドンがその仲間に入ろうとは思いもよらなかった。 

 ハイドンは、モーツァルトとベートーヴェンとほぼ同時代の作曲家なのだが、二人の巨人の陰に隠れて、あまり光をあてられることがなかった(少なくとも私のなかでは)。古典派様式の確立に貢献し、交響曲・弦楽四重奏曲の世界では音楽史に輝かしい名を残している――こんな初歩の教科書的知識はもちろん持っていたけれど、交響曲だけで106曲、弦楽四重奏曲となると150曲以上も作曲していると知るにつけ、ハイドン作品に対する意欲は萎えてしまっていた。ましてオペラおやである。ところが先日、王子の北とぴあでハイドンの『騎士オルランド』を観るに及んで、自分の音楽に対する姿勢は根本的な転換を要すると、いくぶん大げさな反省を迫られることとなった。 

 北区は年に一度、古楽を中心とした「北とぴあ音楽祭」を開催している。その目玉演目がここ数年、ヴァイオリニストの寺神戸亮さんの指揮によるオペラの上演である。いずれも水準の高い演奏で、私は毎年鑑賞することを楽しみにしている。そしてハイドンのオペラといえば、実は2年前にも、『月の世界』という作品がこの音楽祭で上演されている。実相寺昭雄さんの最後の演出作品ということもあって話題をよび、超現実的な台本も面白かったのだが、音楽にはそれほどの魅力を感じなかった。「ハイドンのオペラ? ああ、そう」という感じで過ぎてしまっていた。しかし今回の『騎士オルランド』は、なによりも音楽に圧倒されたのだった。

 『騎士オルランド』の初演は1782年。この年、モーツァルトの『後宮からの逃走』がウィーンで初演されている。モーツァルトは26歳の新進の作曲家だったが、ハイドンはすでに50歳の円熱期にあった。イタリア語を台本とするハイドンのオペラ作品全13曲のうち、この作品は最後から2番目に位置づけられる。

  これは偶然にすぎないだろうが、この作品の背景は『後宮からの逃走』と同じく、西洋とイスラームの関わりである。台本の原作は、イタリア・ルネサンスの巨匠アリオストの『狂えるオルランド』(1532年)。そしてこれは中世フランスの叙事詩『ロランの歌』をもとに作られている。ロラン即ちオルランドは実在の人物で、フランク王国のカール(シャルル)大帝の甥である。軍の指揮官のー人であり、778年、スペインを支配するイスラームとの闘い(これは初期のレコンキスタの闘いのひとつ)で壮烈な戦死をとげる。

 このオペラでも、ロドモンテというイスラームの勇将がしつこくオルランドをつけ狙うが、しかし、ここで「イスラーム」は、刺身のつまの役割でしかない。『騎士オルランド』のテーマは、古今のオペラのもっとも普遍的なテーマ、「愛」である。

 モーツァルト好きは、このオペラのなかに、その後の彼の傑作オペラの登場人物の片鱗を見い出し、驚いたはずである。性格描写もそうなのだが、何よりも彼らのうたう歌の雰囲気に共通点を感じたのだ。『コシ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージ(中国の王女アンジェーリカ)、『ドン・ジョヴァンニ』のオッターヴィオ(アンジェーリカの恋人メドーロ)とレポレッロ(オルランドの従者パスクワーレ)、『フィガロの結婚』のスザンナ(羊飼いの娘エウリッラ)、『魔笛』の夜の女王(魔女アルチーナ)……。特にレポレッロとパスクワーレの類似性には驚くばかりで、「カタログの歌」とそっくりな歌もある。

 モーツァルトはどこかでこのオペラを観たにちがいと思ったほどだが、『騎士オルランド』がいかに評判をよんだオペラであったにしても、その上演記録からは可能性を見い出すことはできない。モーツァルトもハイドンも、イタリアのコメディア・デラルテなど、オペラ制作上の共通の伝統の上にあったのだと考えるべきだろう。

 アリオストの『狂えるオルランド』は、多くのオペラ作品の題材となっている。すでにオペラの草創期1619年に、ペーリとガリアーノが『アンジェーリカとメドーロの結婚』を、また1625年には、フランチェスカ・カッチーニという女性作曲家が『ルッジェーロの救出』を作曲していて、これは日本でCD化されている(1989年FONTEC)。リュリとスカルラッティにもオルランドものはあるようだし、ヴィヴァルディとヘンデルにはそのものずばり『オルランド』という作品がある。ヘンデルにはあと2作、『アリオダンテ』と『アルチーナ』という名作が『狂えるオルランド』を原作としている。私がすっかり魅了されてしまった、キャサリン・ネイグルステッド演じる妖艶極まるアルチーナは、ハイドンのこのオペラのアルチーナと同一人物だったのである。

 「ルネサンスの精華」「芸術に捧げられた神殿」(デ・サンクティス)とまで評されている『狂えるオルランド』は、ヨーロッパの文化を知るうえでの必読の書であるようだ。2001年に脇功氏の訳で全訳が出版されている(名古屋大学出版会)。大部で高価の書のようだが、これは読まないですますわけにはいかないだろう。オルランドの、アンジェーリカ姫への狂恋のみをテーマとしたこのオペラの台本からは、原作の奥深さをとうてい感じ取ることはできない。

 さてハイドンの音楽である。人が音楽を聴いて感動するのは、そこに「真実の感情」を感じ取るからである。とりわけオペラにおいては、多彩な登場人物一人ひとりにリアリティが内在していないと、まず劇として成り立たない。オルランドの狂気、アンジェーリカとメドーロの愛と哀しさ、エウリッラとパスクワーレの輝く生気、ロドモンテの行き場のない怒り……。音楽は台本を超えて、聴くものの心に強く響くものがあった。

 若い臼木あいさんの、どこまでもコントロールされた美しいコロラトゥーラ・ソプラノは、今公演の最大の収穫。バッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ演奏でリリックな声を聴かせてくれている櫻田亮さんとの二重唱もとても良かった。お二人のモーツァルトのオペラを是非とも聴きたいものだ。パスクワーレを歌ったルカ・ドルドーロさんは、そのコミカルな演技で異彩を放っていた。オーケストラ・ピットまでせり出す額縁つき舞台とスクリーンを用いて、場面転換の多いこのオペラを巧みに視覚化した粟国淳さんの演出も、この上演の成功に一役買っている。寺神戸亮さんの指揮するレ・ボレアードの上質な演奏抜きには、このオペラを語ることはできないのはもちろんである。


2008年10月25日 

北とぴあ・さくらホール
指揮:寺神戸 亮
演出:粟國 淳
出演:
[オルランド]フィリップ・シェフィールド 
[アンジェーリカ]臼木あい  
[ロドモンテ]青戸知
 [メドーロ] 櫻田亮
[エウリッラ]高橋薫子  
[パスクワーレ]ルカ・ドルドーロ
[アルチーナ]波多野睦美
[リコーネ]根岸一郎
[カロンテ]畠山茂
管弦楽=レ・ボレアード

2008年11月23日 j-mosa