楽しい映画と美しいオペラ――その12
反戦と愛、それがメッセージ!――コンヴィチュニーの『アイーダ』
ヴェルディはモーツァルトと並んで私の特別に好きなオペラ作曲家である。なかでも中期の作品、『仮面舞踏会』『運命の力』『ドン・カルロ』は繰り返し聴く演目だ。『アイーダ』となると、有名な凱旋行進曲に象徴されるように、あまりにきらびやか過ぎて、ちょっと敬遠するところがあった。にもかかわらず、今年の春は立て続けに『アイーダ』を観ることになった。3月10日のゼッフィレッリのものと、4月17日のコンヴィチュニー作品である。
フランコ・ゼッフィレッリはイタリアのヴェテラン演出家で、『ロミオとジュリエット』など何本もの映画作品もある。一方、ペーター・コンヴィチュニーは今をときめくドイツのオペラ演出家である。この『アイーダ』は、1994年にオーストリアのグラーツで初演されたもので、いわば彼の出世作である。あまりの斬新さゆえに、トマトを投げつけられたという話が伝わっている。
さて私の観た2つの『アイーダ』は、演出の面でまったくの両極端にあるものといっていいだろう。それは第2幕の凱旋の場面を観ればよくわかる。ゼッフィレッリの方はそれこそ絢爛豪華、数えきれないくらいの老若男女が登場し、本物の馬が闊歩する。コンヴィチュニーはそれとはまったく正反対の手法をとった。壁に囲まれた狭い室内で、アイーダをはじめとする数人の人物しか登場しない。凱旋の行進は部屋の外で行われていて、観客にはその勇姿は見えない。
だいたいコンヴィチュニーの『アイーダ』は、一貫して額縁つきの室内で物語が展開する。装置といっても赤いソファが1つあるばかり。従来のファンからは詐欺だとの謗りを受けてもおかしくはない。しかしそのお陰で私は、『アイーダ』という作品の、絢爛さとはまったく別の側面を再認識することとなった。
『アイーダ』は、スエズ運河開通を記念してカイロに歌劇場を建設したエジプトの太守から依頼された作品である。壮麗な見せ場を要請されていたことも察せられるが、当時ヴェルディは円熟の58歳、このオペラには重層的な人間ドラマが十分に織り込まれた。そしてコンヴィチュニーは過剰な装飾をばっさりとそぎ落とし、そのドラマに強烈な光を当てたのである。しかも今まで誰も試みたことのない、ヴェルディの反戦の意思を浮き彫りにした。
第2幕のラダメスはエチオピア軍を打ち負かした英雄などではなく、ちょうどヴェトナム戦争帰りのアメリカ軍兵士のように疲弊している。軍服は血と埃で汚れ、表情も虚ろである。戦場で戦争の悲惨さを体験してきたに違いない。一方室内では、エジプト国王、祭司長、アムネリスが乱痴気騒ぎに興じている。
この第2幕は、コンヴィチュニーの主観的な歪曲なのだろうか。そうではなさそうである。『アイーダ』初演は1871年12月24日。普仏戦争が終結した翌年である。ヴェルディは、プロイセンのヴィルヘルム1世をエジプト国王に投影させたのだ、という見方もあるのだ。友人に宛てた手紙のなかで、神の名のもとにヨーロッパを破壊したと、ヴィルヘルム1世を非難している。エジプト国王=ヴィルヘルム1世は、少なくともコンヴィチュニーにとっては、勃興する帝国主義の象徴なのだ。
額縁つきの狭い室内空間は2度だけ開け放たれる。第2幕の最後、エチオピアの捕虜たちが慈悲を求める場面では、後ろの壁が突然開き、副指揮者に率いられたサブ・オーケストラと合唱隊が演奏している姿が現れる。それまで私の意識もまた狭い密室空間のなかにあったのだが、ここでまず開放される思いがする。虚構と現実が入り混じる新しい空間は、実に新鮮であった。
最後の場面は、第2幕どころでない開放感を観るものに与えてくれる。地下牢と化した室内空間のすべての扉が開き、背後には大都会の夜景が舞台一面に映し出される。点のように小さく車が走り、電車が通り、ビルの窓の明かりが瞬く。閉じ込められて窒息死を待つしかなかったラダメスとアイーダが、手を携えてその夜景のなかに姿を消す。政治のドラマは、永遠の愛を歌い上げることにより、静かに幕が下ろされるのであった。
2008年4月17日
オーチャードホール
指揮:ウォルフガング・ポージッチ
演出:ペーター・コンヴィチュニー
出演:[アイーダ]キャサリン・ネーグルスタッド
[ラダメス]ヤン・ヴァチック
[アムネリス]イルディコ・セーニ
[アモナスロ]ヤチェック・シュトラウホ
[エジプト王]コンスタンティン・スフィリス
[祭司長]ダニロ・リゴザ
東京都交響楽団、
東京オペラシンガーズ、
栗友会合唱団
2008年6月30日 j-mosa