一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

〈身体性〉とは? 第2回(4回連載)

2008-05-10 00:02:21 | 〈身体性〉とは?


4回連載(毎月10日掲載) ■青木やよひ

 

2. 感性のエコロジー 

 現代の人間が身体的にかかえこんでいる問題点として、一方では環境の人工化による身体そのものの機能低下と、それにともなう五感の衰えがある。(人間は自分の手足で、つかむこと歩くことをせず、また目でたしかめ耳をすませ口で味わうことを怠れば、思考さえも衰えてしまうという。)また他方では、自然とのかかわりの喪失による感性の貧困化がおこるだろう。そして問題は、こうしたことが人間の画一化と管理化に、すなわち自由の喪失に、つながってゆくことである。なぜならば、人間の自由とは抽象的にあるのではないからだ。本能としての五感が衰え、日常的な欲求の充足さえもみずからの選択によらず、コマーシャル的画一化に依存するようであれば、それはとりもなおさず、「飼いならされる人間」への第一歩にほかならない。

 野生動物が家畜と異なる点は、危険に身をさらしながらも、みずからの判断と選択によって生きる自由を保持していることである。人間の場合もまた、何を食べ何を身につけるか、あるいは何を受け入れ何を拒否するかといった日常的な判断と選択によってみずからの性格を決定し、またその選択自体がそれぞれの価値観にもとづく自己表現なのである。もちろん、状況によっては些細な選択は無意味になる。飢えに瀕すれば味覚は問われない。しかし、どんな場合にも、危険を告げる本能の働きと判断力(=野生の思考)を失ってしまえば、家畜と同様に人間もまた、自分の安全を他人の手にゆだねるほかなくなってしまう。これが、感性の喪失こそが管理主義、あるいは全体主義への道であると私が危惧するゆえんである。

 これまで一般に、男性が論理的・理性的であるのにたいして女性は感性的・直感的であるとされ、社会生活において、それがあたかも女性の劣等性であるかのように言われてきた。だが、その考えはいまや逆転されなければならない。もちろんこうした人間の資質には個人差が強く、性差だけがその決め手ではない。いわば、人間ひとりひとりの、うちなる女性性の回復が問われているのである。しかし、その母性機能ゆえに、女性はみずからの身体の関心度が高く、男性よりも身体感覚において敏感たらざるをえない条件をそなえている。心の砂漠化に抗して感性のエコロジーを求めようとするとき、これまでマイナスに記号化されてきたその身体性を、女性みずからがプラスに持ちかえるべきではないだろうか。