おいしい本が読みたい●第二話 南アメリカを旅するには
日本の対蹠地である南アメリカはかぎりなく遙かな地だ。でも、太古の昔、ベーリンジアを渡ったモンゴロイドが今も暮らしていると思うと、そして写真で見る日焼けした人々の顔立ちにわが爺婆の面差しの名残をみとめた気がすると、遠国であることをふと忘れる。そんな遠くて近い土地をせめて本のなかだけでも旅したい、と思って手にしたのが『パタゴニア・エキスプレス』(ルイス・セプルベダ)だった。
期待を裏切らない旅を堪能した。チリ人の作者が訪ねる最果ての地の住民たちは、人生を降りた者に特有の、なんともいえない柔らかな眼差しで迎えてくれる。「列車は八時から十時の間に来て、十時から十二時の間に満員になったら出発します」などと駅員が臆面もなくいい切る、去りがたい地方だ。
セプルベダの旅は、南アメリカをエクアドルから西海岸沿いに南下するものだが、このルートをアルゼンチン側からまわって北上すれば、『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』となる。昔日の旅路とはいえ、これもいい。医学生ゲバラと親友アルベルトの弥次喜多道中は、適度の冒険に若者らしい好奇心と純真さが味つけとなって、じつに楽しい。
ゲバラ日記を締めくくるのは、アマゾン川沿いのハンセン病療養所だ。そこから「半レグアも歩けば原住民族が住んでいる密林」がある。その密林を、奥地を、訪れずしてどうして南アメリカを旅したといえようか。たしかにセプルベダもアマゾンは見た。しかしそれは、軽飛行機から“眺めた”だけだ。植民地への空からの視線でなく、土を踏みしめながら見つめるには、『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース)以上の作品は考えられない。西洋近代を相対化する視線に教えられることが多いばかりでなく、描写力たるや凡百の作家を軽く凌駕する。ただし、この著作にかぎっていえば、安上がりの文庫本は日本語訳に問題があって、旅の安全は保障しかねるが…
むさしまる