一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記⑮

2006-11-04 08:00:42 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記⑮
Kitazawa, Masakuni  

 柿の葉が橙色に染まり、橡や楢もかすかに色づきはじめた。澄んだ空のあちらこちらにモズの高鳴きがこだまし、中国語に似たイソヒヨドリのなめらかな音節が遠くにひびく。イソヒヨドリは伊東市の市の鳥となっていて、地元ではアカハラというが、鳥類図鑑でいうアカハラとはちがう。秋深く、今宵(十一月三日)は九月の十三夜の明月がみられるだろう。

暦は文化である

 昔、NHKの大河ドラマで、「大石内蔵助が山科の里を江戸へと出立したのは九月十何日であった」というナレーションにかぶせて、かまびすしく蝉の鳴声が入ったのには、驚くというより笑ってしまった。旧暦の九月は晩秋であり、木枯らしに枯葉が舞う季節である。ついでにいえば、討ち入りの十二月十四日は今のグレゴリオ暦では一月末か二月はじめであり、太平洋側に大雪の降る頃なのだ。しかも十四日は十四夜の月であり、雪雲が切れた夜半(討ち入り時刻が遅れたのは雲が切れるのを待っていたからである)、明月は晧々と銀世界を照らし、屋内以外照明はいっさいいらなかったにちがいない。

 たびたびいうように、革命後の中国でさえ伝統行事はすべて旧暦、つまり太陽太陰暦によっている。伝統行事を旧暦で復活させなければ、われわれは真の伝統や文化を忘却し、古典の感性的な読み方をも失い、自国の歴史を観念でしか理解できなくなるだろう。声高に愛国心を叫ぶより、子供たちにわれわれの伝統や文化を、身体的・感性的に身につけさせるのが先決である。

自国の文化に無知な子供を育てるな

 このことを考えたのは、去る十月三十一日、川崎などいくつかの都市で、子供たちを集めてハロウィーンの祭りを行ったというTV報道を見たからである。ハロウィーンはキリスト教の「万聖節」と、ケルトの収穫感謝祭とが合体した祭りで、合衆国ではアイルランド系のひとびとがひろめた。

 カボチャが主役であるのは、フランスのペローの童話『灰娘(サンドリヨン、英語シンデレラ)』で、魔女の杖の一振りで馬車に変ずるカボチャ同様、魔女がお使えする女神「母なる大地」の子宮、いいかえれば豊饒を象徴するからである。

 キリスト教徒でもないのにキリスト降誕祭(クリスマス)を祝ったり、カトリック教徒でもないのに謝肉祭(カーニヴァル)を演じたり、さらにはハロウィーンに子供たちを動員したり、もう欧米崇拝もいいかげんにしてくれ、といいたくなる。

 私の子供の頃は、まだ田舎では、月遅れなどという奇妙な日程(グレゴリオ暦ではあまりにも季節感がない)ではあったが、伝統行事が盛んであった。わが家には女の子がいなかったが、桃の節句では、知り合いや知り合いでない女の子の家をいわば梯子して、白酒に酔ってしまったり、ご馳走に招かれたりした記憶がある。

 仲秋の名月(これだけはいまでも旧暦に従わざるをえない)では、夜、家々の縁側にススキの穂とともに供えられている三方の団子を、そっと盗んでは食べ歩きをした。花泥棒同様、明月団子盗人は、笑われるだけでおとがめがなかったものである。

 晩秋の夜、オオクニヌシのように白木綿の袋を背負い、家々を廻って祝いのことばを述べ、代わりに駄菓子をもらって袋に入れる恵比須講(これはまさに日本のハロウィーンであり、カボチャではなく袋が子宮の象徴である。古語で子宮はコブクロといい、母親は敬称をつけてオフクロといった)など、思い出しただけでもほのぼのとした感慨がある。

 こうした記憶の蓄積が、人間のアイデンティティの基盤となるのだ。ハロウィーンにエネルギーやお金を使うくらいなら、旧暦による伝統行事復活に心を傾けてほしい。

太陽太陰暦

 旧暦は、農業暦としての太陽暦と、月の暦としての太陰暦とを合わせたものである。冬至からはじまる太陽暦は、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬と八等分され、さらにそれぞれの区間を三等分した二十四節気からなる。たとえば冬至と立春のあいだは小寒・大寒と命名され、夏至と立秋のあいだは小暑・大暑に区分される。

 太陰暦は、月の満ち欠けが29・5日であるため、大月(30日)と小月(29日)を組み合わせて12月とし、それでは1年365日のかなりの日数が余るため、今年がそうであったように六月を二度繰り返す「閏月」を何年かに一度挿入する。こうした暦を作製するにはかなり高度の天文観測と知識を必要とした。明治に天文台や気象台が設立されるまで、太陽の女神アマテラスを祀る伊勢の神官たちが専門家として暦の作製にあたった。毎年発売される伊勢暦は、いわばベストセラーとして、伊勢神宮の大きな収入源ともなっていた。

 以上蛇足として記す。