マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

日本を危うくする「一極集中」

2011年01月26日 | ア行
     ゲオルグ・ロエル Georg Löer NRWジャパン社長

 日本で「地域主権」という言葉をよく耳にするが、中央集権体質からの脱却は遅々として進まない。目に映るのは、地方の中央への高い依存であり、地方の権限が依然として低い現実である。全国一律の施策ではなく、地方にきちんと権限を与え、地域間で競わせる環境を整えていけば、疲弊した地方経済が再生する余地はまだある。

 私の故郷で、ドイツ国内にある16州の一つ、ノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州の例を引こう。ルール工業地帯を抱えるNRW州はかつて、石炭や鉄鋼といった産業を基盤に栄えてきた。だが1960年代に入ると、産業は衰退し、重厚長大産業から先端産業へと構造転換を迫られた。積極的な産業政策を展開するうえで州政府が重視したのが教育だ。州内には68の大学があるが、多くは60年代以降の設立と、歴史が浅い。そこに向けて「人材が付加価値を生む」というビジョンを明確に示し、投資を続けた。

 敗戦後、中央から管理される体制をドイツ人は嫌った。これが、各州の権利を設定することにつながり、NRW州独自の施策を可能にした。首都だったベルリンが戦後、東西に分断されたこともあり、今でも連邦最高裁はカールスルーエ、連邦行政庁はケルンという具合に、司法や行政の機能が分散している。政治においても、連邦議会と並んで「上院」機能を果たす連邦参議院には、国内16州の政府代表が所属し、連邦政府の決定に影響を与えている。

 日本はどうだろうか。銀行員時代に不思議に思ったものだが、銀行融資額の5割強が関東圏に集中している。いつ大地震に見舞われるかもしれないのに、である。ビジネスが必要とする政治や行政機能が首都圏にすべて集まっているから仕方がない、という声も聞こえてきそうだが、問題の本質は、日本人自身がその脆(もろ)さに気づいているにもかかわらず、議論がなかなか深まらないことにある。これは非常に危険なことだ。

 縁あって、3年前からNRW州経済振興公社日本法人の社長を務めている。企業誘致のために全国各地でセミナーを開いているが、観光資源という面でも人材という面でも、地方はまだ発掘の余地が大きい。隠れた優良企業も少なくない。

 中小企業の経営者は、世界の壁の高さを過度に意識し、海外展開に踏み切るのをためらっている。それも無理はない。戦後の日本では、護送船団方式で守られた銀行が運転資金を支えてきた。商社もしくは大手企業の「ケイレツ」に入って命じられた部品だけつくっていれば、商売は回ってきた。しかし、国内市場だけだと成長が見込めず、モノやヒト、情報がグローバルに行き交う時代に、こうしたモデルは通用しない。

 2年前、弊社のセミナーに参加した中堅企業の経営者夫妻が、NRWの州都デュッセルドルフに出かけた。売ろうとしたのは錫(すず)を使った高級タイル。当初、夫妻は海外展開できるのか半信半疑だったが、現地に出かけたのがきっかけで後日、ドイツに代理店を持つことができた。大事なのは一歩を踏み出す勇気だ。外に出てみなければ、競争相手も、競合する商品も分からない。

 私の役目はそこにある。良質な情報をこうした優良企業に提供することだ。NRW州には現在、約1万1700社の外国企業が拠点を構える。日本企業の進出数も欧州で最大の500社を超え、1万人近い日本人が生活している。ドイツ最大の投資拠点に成長できたのも、半世紀も前に州政府が教育投資という明確な「ビジョン」を打ち出し、有能な人材を安定して輩出できる素地を整えてきたからだ。法人税減免や補助金といった持続可能性の低い優遇策だけでは、企業誘致の決め手にならないのだ。

 NRW州を支えるのは、外国企業だけではない。08年までの4年間で州人口が減少したにもかかわらず就労人口が逆に伸び続けてきたのは、地方に根を張るドイツ企業の存在が大きい。地方に拠点を構えながら、その分野で世界トップシェアを占める中堅企業も、ドイツには多い。

 一極集中の弊害は、経済的な議論にとどまらない。日本では地方から首都圏へと人が流れ、そこで居を構える。その一方で、地方出身者は生まれ故郷との関係が希薄になってきている。

 私は、日本と関係の深い家庭で育った。父親が外交官として日本に赴任していた時に、私は東京・下落合で生まれた。当時は金魚売りが町中を歩いていたせいか、最初に発した言葉がドイツ語ではなく日本語の「キンギョ」だったと、両親に聞かされた。5歳まで日本に住み、その後ドイツに帰国したが、1974年に父親が大阪にドイツ総領事として赴任したことから、高校卒業後に日本と再会する巡り合わせとなった。

 この時は、京都や奈良に出かけて寺社仏閣を見たり、四国の八十八ヵ所を巡る「お遍路」を体験してみたりと、日本文化を満喫した。こうした経験からかも知れないが、日本の地方が持つ素晴らしい潜在力に日本人自身が気づいていないのでは、と思うことがある。私が若い頃に目にした地方の祭りや伝統芸能は今、後継者難から青息吐息になっているところも多い。

 日本での生活は通算22年に及ぶ。どんなに日本が好きで、日本語が堪能になっても、異国で暮らしていると、母国の文化や伝統、母国の家族や友人への思いは強まっていく。また、それがドイツ人としての自分の「存在」を肯定する唯一の手段であることにも気づかされる。地方で脈々と受け継がれてきた日本の文化にも、そうした側面があるに違いない。

 理解できないのは、日本人は自然と密接な暮らしを営んできたはずなのに、身近な自然破壊にあまり関心を払わない点だ。日本には啓蟄(けいちつ)や立秋といった二十四節気が息づいており、季節ごとに祭りもある。1年間の行事がまるで時計を眺めているかのように報道される国も珍しい。日本人は自然とふれあいながら生きているし、地球温暖化の問題も積極的に議論している。しかし、足元では住環境が破壊されている。特に、一極集中のひどい東京都内の住宅事情は目を覆うばかりだ。

 私の記憶にある70年代の日本で、自宅に庭があり、緑があるのは当たり前だった。しかし、最近はどうだろう。昔あった商店の跡地には高層マンションが建つようになった。1軒分の住宅用地が4分割され、緑がなく葉っぱに落ちる雨音すら聞こえない住宅がそこに4軒も、所狭しと立ち並ぶ。きちんとした家にすら住めないのに、少子化の議論ばかりが盛んになっている。

 私は社会人生活の大半を民間企業で過ごした。以前勤めた銀行では少なくとも「企業は生き物であり、常に組織を変えていかねば生き残れない」という意識が浸透していた。変革は常に求められている。人についてだけでなく、国だってきっとそうだ。日本の地方再生をどう考えるのか。質の高い住環境をどう守るのか。日本に合った形を見つけなければならないことは言うまでもないが、その土台となるしっかりとしたビジョンこそが為政者には求められる。

(朝日新聞グローブ、2011年01月09日。構成 GLOBE記者 都留悦史)