第二次世界大戦当時、ユダヤ人問題の最終解決策をヒトラーのもとで実行したアイヒマンを捕まえるまでの物語。時期的には『顔のないヒトラーたち』と同じ頃です。
まだナチスの残党や協力者が政権内部や公的機関に大勢いて、アウシュビッツなどの人道に対する罪を直視していなかった1950年代、西ドイツフランクフルトの検事長フリッツ・バウアーは海外に潜伏しているアイヒマンを何とか逮捕しようと狙っていた。
しかし検察、警察内部には、バウアーを快く思わない者も多く、失脚を画策する隙を狙っていた。アイヒマンがアルゼンチンに潜伏している、という情報を得たバウアーは、イスラエルの秘密警察モサドと接触するが、確証がないためモサドを説得できない。信頼できる若手検事カールと組んで捜査を進めるが、検察内部にいるナチスシンパの妨害も一層ひどくなっていく。果たしてアイヒマンを確保できるのか。。。
ドイツ映画賞で作品賞や監督賞名など6冠を獲得したこの作品、『帰ってきたヒトラー』もそうだけど、戦後70年を経て、今ドイツ映画界はあの戦争を振り返るのがブームなのでしょうか?ついつい日本とくらべてしまいますが、ナチスの人道に対する罪を自分たちの手で裁いたドイツも、最初はそこまでじゃなかったんだなあ、親ナチスの人も普通にいたんだと知って却って安心感があります。日本の戦争責任は極東軍事裁判で戦勝国が裁いただけで、日本人が自ら清算していないからいつまでたっても姿勢が定まらずくすぶり続け、教育勅語の復活などがあるのでしょう。
バウアーがユダヤ系ドイツ人だったことは、アイヒマンの逮捕やバウアーの執念、ナチスシンパの検察内部による反対などに影響が無かったとは言えないでしょう。ナチスの民族浄化に対する思いは、当のユダヤ人とそれ以外とでやはり格段に差があるものだと思います。
バウアーもカールも同性愛者だということが彼らの失脚を狙うナチスシンパの攻略ポイントになるのですが、当時ドイツでは同性愛が刑法第175条による犯罪だったとは驚きです。しかもその条文が1994年まで存続していたなんて。ナチスドイツの時代には、ユダヤ人と同じように同性愛者も迫害され虐殺されていたみたいで、もう一つの悲劇ですね。
ユダヤ人から公民権を奪い取ったニュルンベルク法の制定にかかわったハンス・グロプケが戦後の政府内で重用され続けるなど、ナチスやホロコーストに関わった人が公務に就くのは、関与の度合いにもよるのでしょうが仕方のないことなのでしょう。
アイヒマンの情報をモサドに流すことは国家反逆罪になるかもしれない、それでもドイツ国内では恐らくアイヒマンは裁けないと判断しモサドに託したバウアーの判断に、頭が下がります。
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1/21 川崎チネチッタ
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