まてぃの徒然映画+雑記

中華系アジア映画が好きで、映画の感想メインです。
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空気人形

2009-10-06 00:00:00 | 日本映画(あ~な行)
前作「歩いても 歩いても」では日常の自然な姿を描いた是枝裕和監督は、今作で心を持ってしまった人形を主人公に見事なお伽話をリリカルに紡ぎ、今を生きる人々の空虚な心を描き出す。

ボロ屋の二階で、中年男性(板尾創路)に<のぞみ>と名づけられたビニール製の人形は、人と関わるのが面倒くさい男の欲望処理の道具。ある日、ふとまばたきをして立ち上がり、窓を開けて伸ばした指先に朝の雫が触れるとペ・ドゥナに変身!

心を持って動き出した<のぞみ>はメイド服を着て外界に踏み出す。目にするもの、耳にすることすべてが初めてで、少しずつ言葉も覚えていく。このつたない話し方も、ペ・ドゥナが喋るからむしろ自然なのが、キャスティングの素晴らしさの一つでしょう。

たまたま入ったレンタルビデオ屋で店員の純一(ARATA)に一目惚れして、昼間はそのレンタルビデオ屋でアルバイト、そして東京の町を散歩する。その東京の町で描かれるのは、人形のように空虚で孤独な人間たちの姿。警官相手にニュースで聞いた事件の話を繰り返すおばあさん(冨司純子)、若い同僚を妬む中年の受付嬢(余貴美子)、部屋を閉め切った過食症のOL(星野真理)、公園のベンチでひとり佇むおじいさん、昔のゴルフコンペのトロフィーがたくさん飾ってある部屋で、毎日一人で卵かけご飯を食べるレンタルビデオ屋の店長、メイド姿の店員のパンツを覗こうとする浪人生など。

おじいさんと話をして「空っぽの人間がたくさんいるよ」と言われた<のぞみ>は、少し嬉しくなって自分と同じような線のある中年受付嬢に肌色のデーションをあげたりして、心を持ったばかりの素直さがよく出ているなあ。

棚の上のDVDを整理していたときに、足元がふらついてあっと倒れるときに、釘に引っかかってしゅーっと空気が抜けてしまう。はっと驚く純一に、恥ずかしがる<のぞみ>だったが、純一は構わず傷口にテープを貼り、空気穴から空気を吹き込む。この空気を吹き込むたびに、ふぅっふぅっと膨らんでいくペ・ドゥナの様子がもの凄くエロティックで、最初は空気の抜けた姿を見られた恥ずかしさ、次に空気穴をさぐられて息を吹き込まれる恥ずかしさ、そして膨らんでくるとスカートを捲り上げている恥ずかしさ、という具合に羞恥心が変化していく描写も自然な感じ。空気人形にとっては『息を吹き込まれること=セックス』という図式で、これをきっかけに二人の距離は急速に近づいていく。

二人でデートしているときに、街灯のあかりでできた影が自分だけ薄くて影ができないように動き回る姿や、昼間の散歩で自分の腕を透かして見たり、自分と同じように向こうが透けて見えるガラスの瓶を集める姿に切なさを覚えつつも子供みたいで微笑ましくも思ったり。

<のぞみ>がそんな心を持った生活を楽しみだしたときに、持ち主の中年男性は新しいビニール人形を通販で買って、届いた日にその人形に同じのぞみという名をつけて誕生パーティを開く。誕生パーティの記憶がもちろんない<のぞみ>は、中年男性の前にでて「私、心を持ってしまったの」と告げるが、彼から返ってきたのは「そういうの面倒くさいんだよ」という言葉だった。その感覚はわからないけれど、状況はわからないでもないかな。きっとこの中年男性は、職場のレストランでも若い同僚に苛められてたし、客の注文は面倒くさいし、プライベートではそういう煩わしさを排除しようと思って人形に走ったんだろうな、という想像はつきました。

男性の家を飛び出した<のぞみ>は、自分が作られた工場に行く。そこで待っていた人形師(オダギリジョー)がかけた言葉は「おかえり」だった。まあ、空虚な町に降り立った天使の役回りですね、オダギリくんは。ここで心を持った人形として生きていく勇気をもらった<のぞみ>は、純一のもとへいき「何でも好きなことしていいよ」と心のままに言う。そして純一が選択したのは、彼女にしかできないこと、空気を抜くことだった。彼女の空気穴から空気を抜いてはまた息を吹き込む純一もまた、心が空っぽな人間の一人で、自分の空っぽな心を埋めるかのように<のぞみ>に息を吹き込むことを繰り返す。このシーンも息を吹き込まれるたびに膨らむペ・ドゥナの様子がとても官能的でした。

息を吹き込まれることで満たされた感覚になった<のぞみ>は、今度は自分が息を吹き込もうと純一のへそのあたりを切って空気を抜き、息を吹き込む空気穴を探すが見つからない。一生懸命口から息を吹き込むものの、やがて純一は冷たくなってしまう。ああそういえば、冷たい手を気にしていた<のぞみ>に、おじいさんが「手の冷たい人は心があったかいんだよ」と言っていたなあ。

冷たくなった純一をゴミ捨て場に捨てて、<のぞみ>は中年男性の家の側のゴミ捨て場で、これまで集めたガラス瓶で自分の周囲を飾り横たわり、短かった人生を終える。その朝、過食症のOLは久しぶりに窓を開けて外を見下ろし、<のぞみ>の姿を見つけて「きれい…」とつぶやく。そのシーンが最初の空気人形が雫にふれたシーンとシンクロして、新しい物語が始まる予感。

空っぽの人間を描き出す是枝監督の演出が、痛いほど心に突き刺さるのは自分も空っぽな何かを抱えているから?人間なのに心に空っぽを抱いている人たちの姿が、中身は空気で空っぽなのに心を持ってしまった人形と比べられて、静かだけど強烈に今の人間の心のありようを批判しているような感じでした。

それにしてもペ・ドゥナの透明感は空気人形にぴったり!でした。カタコトの日本語や、ぎこちない動き方も相乗効果を生んで、当然脇を固める板尾やARATA、余貴美子たちの生々しい存在感あふれる演技もあり、是枝ワールドのリアルな自然感を作っていました。

オダギリジョーはやっぱり凄いですね。あれだけのシーンであんな突飛な役柄を実に自然にこなしてしまう、素晴らしい役者さんです。そして物語の設定は絶対にありえないのに、作り物っぽいところがなく自然に見えるってやっぱり凄いことですよ。美術やカメラワーク、音楽を含めての総合的な是枝監督の演出力なんだろうな。

それにしてもペ・ドゥナの脚のきれいなこと!『子猫をお願い』から8年経っていて、スタイルも抜群で丈の短いワンピース姿がとてもキュートでセクシーでした。

ペ・ドゥナのインタビュー記事:CinemaCafe.net女性自身シネマぴあ

公式サイトはこちら

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