- 松永史談会 -

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鈴木貞美「生命観の探究」&「大正生命主義と現代」(図書館からの借りだし)

2014年02月11日 | 教養(Culture)

鈴木貞美「生命観の探究」&「大正生命主義と現代」





鈴木の視野にある生命主義論者あるいは生命観を念頭に置いた場合鈴木が注目した人物相関図。こういうものは鈴木の見解(認識論的にいえば”観点”)であって、あくまでも参考資料、真に受けない方がよい。



19世紀後半という時期はヨーロッパでは科学の行きすぎに反省の生まれた時期に当たる。例えばそこでは文化人類学者がもたらしたアジア・アフリカなどの非欧米圏に残存した”未開文明”とかレビ・ストロース流にいえば「野生の思考」の発見が伝えられ、またベルクソンやニーチェの反合理主義的哲学が隆盛をむかえる一方、降霊会がもよおされ、オカルト現象を科学的に研究しようという心霊科学や、東洋の叡智を探求する神智学運動が一世を風靡したりした。
鈴木が取り上げた「大正生命主義」というのは、柳宗悦のウィリアム・ブレーク研究自体がその所産であった訳だが、そうした産業科学主義や合理主義に対するある種の”カウンターカルチャー”形成の我が国社会における発現形態の研究という性格を持つ。誰しも神智学・心霊研究(オカルト研究)、生気論の中から現代の生命倫理をまじめな議論する場が構築できるとは思えないだろ。ビートルズがヨガや禅に興味を持った時期があったが、生命主義は産業科学主義や都市文明に対するアンチ(アクセルーブレーキという尺度の中では”ブレーキ”)として登場(あるいは機能)するたぐいのものであって、大切な機能だが、登場してはいつのまにか消滅していくといったことを繰り返す代物だ。

・・・・・・里海/里山資本主義?
それはNHKが宣伝している大正生命主義の平成版だろ。

真言宗立宣真高等女学校長時代の著書が福来友吉 著「生命主義の信仰」、日本心霊学会、大正12


「大正生命主義と現代」は生命主義に関する鈴木の問題提起と、宗教学者山折哲雄、哲学者中村雄二郎との対談、大正生命主義に関わる作家・評論家・詩人に関する国文学研究者の論文から構成されている。
鈴木は本書の狙いを①生命主義がスーパーコンセプトになっている1980~1990年代の思想文化状況を捉え、大正デモクラシーの時代の話題を引き合いに出しつつ、相対化し、②そこから新たな生命思想を生み出す手掛かりを得たいのだと・・・・
そのために動員されたのはいやはや国文学関係の研究者や山折とか中村雄二郎だけ、というお寒さ。山折・中村は現代を代表する説教師たちだが、ほとんどの場合中味に欠け、新たな生命思想など彼らに語れるわけがない。
なぜ、生物学・医学などの先端領域で活躍する人たちに声をかけなかったのだろ。
鈴木の場合は肝心なところは西田幾多郎の論稿を持ち出して読者を煙に巻く
西田の名前を出せば「生命」(例えば性欲)の問題でも深遠な普遍性の衣裳を纏えると言わんばかりの持ち出し方だ。カビ臭い明治大正の文学を研究する鈴木のような人間にだれも生命観の未来を教えてもらおうとは思わないだろ。
まあ、考えてみたら、それはわたしにとっては所詮どうでもよい話。この中に大和田茂「民衆芸術論と生命主義」(加藤一夫論)があったので、その部分のコピーをさっさとしておいた。

三原容子「加藤一夫の思想」、社会思想史学会年報・社会思想史研究№14、1990、105-117頁というのもある。
・・・・・大和田・三原の論文の中味はいずれも短報・研究ノート級。

「生命観の探究」は900ページを超える大著。古今東西の生命観にまで視野を広げているが、鈴木の学習過程を知るには便利だが、そんなことに興味のない私などには習作的過ぎて、問題点をもっと限定して、要点を掻い摘んでコンパクトに活字化してほしいだけ 。 部分的に精読して見たが、筆者の関心は広範だが、分析は残念ながら浅い。
第七章は鈴木専門の「大正生命主義ーその理念の諸相」。その説明によれば大正生命主義とは近代生物学、とりわけ進化論を受容した下地の上に欧米における19,20世紀の世紀の変わり目に現出した様々な新しい思潮を我が国の伝統思想によって受け止めたときに生じた一大思潮だという、なのに鈴木は永井荷風には言及しても「生命論」の大著をもって知られる永井潜に関しては不思議と言及がない(。永井潜の「生命論」は結局のところ、優生保護法とか断種政策という形になり下がっていく性格のものだが、当時としては相当の影響力を持ったものだった)。
・・・・・・・摩訶不思議というほかない。
科学思想史の問題だが、欧米の文献のこのジャンルのものを直接読んだ方が鈴木のこの大著(第十二章:新しい生命観を求めて、744-831ページ)を読むよりよほど為になる。

「生命論」を書いた永井潜は生気論と機械論をあげ、科学者としては前者は否定せざるを得ないとしている。ただ、永井の弟子小酒井光次あたりは「生命神秘論」を著している。言うまでもなく色彩論に例えて言えばニュートン的な色彩論限定するというのが永井潜の立場であり、色彩に関してゲーテ的な(意味論的)思考モードを持ち出すのが「生命主義」とか「生命神秘論」の立場だ。まあ、この辺は古くて新しい問題だが、前者を差し置いて後者があまりにも台頭してくるようになると社会は堕落する。「生命主義の信仰」の筆者:福来友吉万歳!では困るのである。




コピーするには頁がありすぎるし、古本で購入するには現在ではプレミアが付きすぎているし・・・・、こまった書籍だ。
○鈴木貞美 著『生命観の探究』
われわれは「生命」をどのように捉えてきたか。古今東西の哲学・宗教から最先端の分子生物学に至る人類の精神的営為を渉猟しつつ、多様な危機に混迷する現代に新たな生命原理主義を樹立する画期的労作。
「BOOKデータベース」より
[目次]
新たな生命観が問われている
人権思想と進化論受容
生物学の生命観-二〇世紀へ
二〇世紀前半-欧米の生命主義
前近代東アジアの生命観
自然の「生命」、人間の「本能」
生命主義哲学の誕生
大正生命主義-その理念の諸相
大正生命主義の文芸
生命主義の変容
第二次大戦後の生命観
二〇世紀の武道と神秘体験
新しい生命観を求めて
作品社、2007、914ページ

○鈴木貞美 編『大正生命主義と現代 』
新しい生命観の創造をめざして。いわゆる"大正教養主義"の水面下には目眩めくほど多彩な思想潮流が躍動していた。哲学・科学・文学・芸術・政治・社会・宗教などあらゆる世界での創造と破壊、理想とデカダンス、霊魂とエロスの乱舞を"生命"の思想として捉え直し、混迷する現代の鏡とする瞠目のアンソロジー。
「BOOKデータベース」より
[目次]
1 大正生命主義と現代
2 大正生命主義の諸相
3 1980年代の生命主義
河出書房新社、1996,297P.

最後に、西田哲学入門講座

「善の研究」の原題は「純粋経験と実在」だが、これに関して当時の心理学の中では「意識(高島の場合は識の段階)」、「経験(高島の場合は純経験)」がいろいろに論じられていたわけだが、西田はこの辺を適当にパクリ、何の科学的検証のないまま彼独特のレトリックの中にちゃっかりと鋳込んでしまった感じだ。

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