えくぼ

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あの刻のアリバイ

2017-03-11 09:54:37 | 歌う
     あの刻のアリバイ

 今年の3月11日は土曜日だ。晴れているが気分は暗い。東日本大震災発生から6年を迎えたが、いまも約3万4千人がプレハブの仮設住宅で避難生活をつづける。2553人が行方不明である。と朝日朝刊の一面に。

 ▲ 壁のごと迫る津波を語るとき海辺の女は瞼を閉ざす 松井多絵子

 私は津波を見たことがない。だから3・11を詠むのは気がひける。しかし3月になり桜前線が近づいてくると津波も私に絶えず近づいてくる。寝ても覚めても。

 ◉ 近づいてくる桜ばな、近づいてくる高波、逆巻く荒波

 ◉ あの刻のアリバイのなき女いて3・11の話を避ける

 老女3人寄れば3・11のあの日あの時どこで何をしていたか、に話が及ぶことが多い。あれは、お昼過ぎだったので買い物、書店で立ち読み、銀行の窓口など、私は近くに開店したコンビニで卵を買っていた時だった。向いの3階の雑居ビルがくねるように左右に揺れ始めた。もし前後に揺れたら私はビルに押し潰される、怖くてレジのカウンターにしがみついていた。振動が止まってからコンビニを出た。
 
 ◉ あと5分歩けば辿り着けるのに家がだんだん遠くなりゆく

 ◉ 震源地も震度もわからぬレジ袋の10個の卵よ割れないように

 あの刻にコンビニにいたのは仲間で私だけ。「店の商品は散らばったの?」と訊かれても記憶にない。帰路の歩道橋が揺れていたのが恐ろしく渡らず遠回りした。
 
 ◉ 地デジ工事を昨日終えし我が家のしろがねのアンテナするどく光る

 自宅に戻っても安全ではないかもしれないのにホッとした。あの昼のあのとき。 

 ◉ 天災ではない、人災なのだ、フクシマの後遺症はいつまで続く

 ◉ 天才も怖いですねと云う我にひびきやまざる津波の轟き

          3月11日 松井多絵子