えくぼ

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立ち読みびとが樹木のように

2017-03-02 09:13:24 | 歌う
          立ち読みびとが樹木のように

 昨日から3月になった。裸木の長い並木をぬけだしたような心地だ。彼方の桜並木に向ってとぼとぼ歩く。郵便受けには旅の友、さくらが満開の表紙の雑誌、そしてモノトーンの「未来3月号」。昨年12月10日ごろに送った私の5首が載っている。ノーベル賞受賞式に「ボブ・ディランが欠席」のことで騒がれていた頃に詠んだ5首である。
                   
         風に吹かれて   松井多絵子

    わが町の駅前通りの書店には立ち読みびとが樹木のように

    樹木なら我は柊かもしれぬ淋しきときの棘のするどさ
  
    「ありがとう」とあの日あの時云ったなら私はポインセチアの花に
  
    なぜ受賞式に出ないかボブディラン、風に吹かれているかもしれぬ

    がん張れば成功するとは思わなくなりて今年も終わりに近づく
                                  

 
  「未来3月号」の「工房月旦」にこの欄の評者の1人✿ 守中章子氏の寸評が

  ▲ 暁の夢の出口の前にくる この世のことは夢かもしれぬ  松井多絵子、
                      (未来12月号出詠)

 ~「出口の前」とは思い切った表現だ。まだ夢から出ていないのだ。生きることは本当は長い眠りの中の夢なのかもしれない。守中章子~

 わたしは眠っているときにはあまり夢をみない。嬉しいことがあった時これは夢かもしれないと思う、嫌なことがあった時もこれは悪夢だと思ったりして、昨年こんな歌を。

 長いこと使っていた「ガラケイ」からスマホに代えて3日目、この世のややこしさに戸惑っています。まるで顕微鏡のなかを覗くような、小さな文字や記号、これも夢なのかしら。

           3月2日  松井多絵子、