岸原さや歌集の謎
この20余年、私はたくさんの歌集を頂いた。なかにはこれは自分史ではないか、というような歌集もある。父母、祖父母、兄弟姉妹、友、恩師などに感謝こめた歌、一応「いいなあ」とは思うが、わたしたち人間はそんなキレイな生きものだろうか。他者に感謝する余裕などはなく、自分のことで精いっぱだ。岸原さやの歌集は快いフレーズが多いが、精いっぱい生きている方かもしれない。歌集には謎が落葉のように散っている。
❤かなしみがかなしくなくてくるしみもくるしくなくて熱だけのある
歌集『声、あるいは音のような』という岸原さや歌集には284首の作品が収められている。その第一首がこの歌である。漢字は1字のみ、すべて平仮名である。「熱」という字が謎めいている。作者のおもいが凝縮された「熱」。高熱かもしれない。
❤胸にある祈りのような白きもの そっとそっと光のなかへ
6年前に「未来」の会員になられ、新進の歌人の集う加藤治郎氏に師事されている岸原さやさんは静かな方だ。旧会員の老女達とばかり井戸端会議をしている私は彼女と話したことがなかった。40ページまで読んで歌集にはじめて他者の名が出てくる。「笹井宏之急逝」、その死にぼうぜんとしながら何首もの追悼歌を詠んでいる。
❤声だった、とても静かな声だった、楡の木陰の泉のような
その次の頁にいきなり母上の死を知らせる父上のこと。母上の自死の歌である。
❤もしあの日電話したならこの岸に繋いでおけたか母のいのちは
❤死ぬことと生きてることの境いめが目にしみる夜は横むきに寝る
❤わたくしのいない部屋にもわたくしの気配は香る 桜は冷えて
❤映画館の座席のふかいくらがりで或る人生の果てをみつめる
長らく患って、十分に治療したのちの死ならば、母上の死を受け入れられたであろうが、
自死ではとても諾えない、哀しいより辛い、やりきれないおもいが岸原に詠ませた歌集だろうか。彼女の周りを五感でとらえ、ことに音に反応した作品が多いような気がする。
10月12日 岸原さん、私はあなたの歌集の入り口にいます。 松井多絵子