この曲はアカデミックなコード進行に支えられていて、それに従えばそれだけで美しい演奏ができる。楽曲を楽しむ、それはそれでいいのだけれども、ジャズのもうひとつの楽しみである即興的な和声を楽しむことはちょっと難しい。やはり曲によるのだ。がむしゃらにその「ヒップさ」ばかり求めるのもどうかとは思うけど、何が起きるかわからないスリルがジャズの大きな要素でもあるから常にそれを想定しておく必要はある。即興的な和声というのは、いわば進み方に根拠のない理不尽なものになる可能性が高い。で、それを楽しむということだ。そのためには自由なベースラインの動きが不可欠になってくる。つまりベーシストがかなりの主導権を握っているということだ。極端なことを言えば、ピアノが規則に従って理路整然としたコードを弾いていても、ベースがそれに従わずトリッキーな動きをすれば全体としては不思議なサウンドに聞こえてしまう。こういう出来事もジャズの楽しみのひとつだ。でも結局はヒップ、クレイジーも程度問題だ。やりすぎはなんでも無理がある。それに深く考えればヒップ、クレイジーというジャズの精神はそんな表面的なことではなくて、現代の人たちが音楽の中に求めるいわば哲学なのだ。ヒップにしなければ、と思って自分にプレッシャーをかけた時点で音楽はスクエアになってしまう。アカデミックな曲を心から楽しんでやっている演奏は最高にヒップな時がある。演奏の出来不出来はその時の精神状態で大きく左右されてしまうものなのだ。