ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Willow Weep For Me Ⅲ

2009-09-06 00:38:02 | Weblog
ブルーノートをどうやって12音の中に融合させるか?階段上に区切られた音程の組織の中でどうやってブルースらしさをだすか?ピアニストは手探りでやってきた。そしていろんなテクニックを開発した。ヨーロッパアカデミズムもインプロヴィゼーションの中で消化した。ジャズという音楽が堂々たる音楽になった。こうなったのは実はもう80年いや90年ぐらい前かもしれない。いろんなタイプの天才がでてきた。その後もいろんな経緯を経て'50年代パーカーの死の前後にモダンジャズは確固たる芸術になった。その後も'60年代後半までは最新の芸術として音楽界に君臨した。この頃の演奏は立派な音でアルバムとしてたくさん残っている。いまだに世界中で売れ続けている。やはり音に迷いがない。モダンジャズはまだアメリカのほんの一部の都会の音楽であったにもかかわらず、世界中の音楽ファンが度肝を抜かれる迫力を持っていた。才能あるジャズエリートたちがひとつの方向を目指して演奏している。クラシック音楽と単純には比較できないけど、形式的にも和声的にもひとつの完成をみたといえる、リアルクラシックの時代、ハイドン、モーツアルトの時代と似ていないか?もちろんこういうことは随分後になって「ああそうだった」と言えることでその時代に活動していた音楽家たちは必死だっただろうと思う。今となっては誰にも分からない。アフロアメリカンが手探りでやり始めたジャズという音楽が単なるポップ音楽やダンス音楽に留まらずインプロヴィゼーションという究極の音楽として評価されるようになったのは限られた天才の業績だけによるものではない。そこには世界中の人間の新しい芸術に対する渇望があったからだと思う。