<続き>
トウモロコシ畑の窯址らしき辺りを見回すと、所々に陶片が現認されたが極まばらで、探すのも一苦労で大きな陶片はなく、多少なりともがっかりであった。
何の変哲もないカワラケのようなもので、よく見ると釉薬は長年の土中によりカセている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ff/de2b43e6fad31d0759469192bb055445.jpg)
黒褐釉をもつ陶片の表裏写真である。陶片の形から何らかの壺片である。もしかしたら二重口縁壺か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f9/897dd53d71988e7387c33eb278417b14.jpg)
白化粧され鍔付き口縁を持つ青磁盤片である。表の青磁釉は翠色で、濃淡がある褐色釉や黒褐釉が主体の中で、やや異色の存在である。また外面は約束通りの黒褐色である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c9/f94c00956a4e84a273ce25ebd85707e3.jpg)
二重口縁壺のまさに二重口縁部の陶片を探し当てた。胎土は赤土のようである。このモン・オーム一帯は赤土土壌で、下の未舗装道路のような色合いをしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/f3/554a78f7ce45f0fb46b764ec860bcb34.jpg)
話は変わる。「陶磁器・パヤオ」によれば、下写真のサンカンペーン印花双魚文盤を掲載し、これがモン・オーム窯から出土したと記載している。これは何を物語るのか?
モン・オーム窯は、サンカンペーン陶磁を参考に、印花双魚文盤を焼成したであろうか?
それとも、サンカンペーンの陶工が当地に移動してきたのであろうか?
いずれにしても、鎬文をもつ印花双魚文盤片を発見することはできなかったので、想像の域を超えるものではない。
<続く>
<予告>
次回からパーンの窯址訪問記を掲載したい。
トウモロコシ畑の窯址らしき辺りを見回すと、所々に陶片が現認されたが極まばらで、探すのも一苦労で大きな陶片はなく、多少なりともがっかりであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/e7/525a62007fb42f616cc341eb65eff6b1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ff/de2b43e6fad31d0759469192bb055445.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/52/66d6c4aaead4dd5cc77df73e926e812a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f9/897dd53d71988e7387c33eb278417b14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/66/69f05d6e15e6502d8cb41480864a2198.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c9/f94c00956a4e84a273ce25ebd85707e3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/f2/16a3464453638a6163c80f1624d6d8f2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/f3/554a78f7ce45f0fb46b764ec860bcb34.jpg)
話は変わる。「陶磁器・パヤオ」によれば、下写真のサンカンペーン印花双魚文盤を掲載し、これがモン・オーム窯から出土したと記載している。これは何を物語るのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/08/b7ef0e1c16044445add0f378c76424ba.jpg)
それとも、サンカンペーンの陶工が当地に移動してきたのであろうか?
いずれにしても、鎬文をもつ印花双魚文盤片を発見することはできなかったので、想像の域を超えるものではない。
<続く>
<予告>
次回からパーンの窯址訪問記を掲載したい。