今朝、ハンドン郡ハンケーオ地区(ตำบลหารแก้ว)の素焼き土器村へ行ってきた。幾つかのム―バーン(村落)で家内工業的に作っているとのこと。大きな通り沿いの工房である。そこは一村一品運動のOTOPの看板が掲げられている。
大きな素焼き土器のモニュメントが在るので、そこが工房であることがすぐに分かる。ここの素焼き土器は、紐作りの叩き成形で、弥生土器よろしく野焼き焼成とのことで、興味津々で訪れた。結論から云えば、この時期PM2.5やPM10の煙害禁止のため、野焼きは中止されていた。違反すれば、逮捕・罰金である。そのため薪窯が使われていた。
紐を積み上げた後、写真では分かりにくいが右手に叩き板を持って、叩きながら引き延ばしている。
成形が終わると、日陰干しかと思いきや天日干しであった。建屋の下には乾燥済みで焼成前の成形品が並べてある。
薪を使った焼成炉で素焼きをしている。焚口は左右2箇所。
最近は素焼き土器にペンキを塗るものもあるそうだ。以前は、下写真の場所で野焼きをしていたとのことであった。
このハンケオには、日本の陶芸家も訪れている。一人は13代中里太郎右衛門氏で、1971年に叩き技法のルーツ調査で訪れ、ここで作陶し帰国後、1996年まで所謂『半練(ハンネラ)』の水指、花生を作ったと云われている。さらに14代沈壽官氏も司馬遼太郎氏との対談で、訪れたことを述べている。
モニュメントの蓋付大壺(甕)も叩きで造形したとのこと。弥生の大甕成形技法が現在も使われている・・・驚きであった。