<続き>
タイ語書籍「陶磁器・パヤオ」に掲載されている、Wiang Phayaw古窯址の位置は、下の写真の赤丸枠内である。
ワット・リーを出て東に向かうと、小川が流れている。それを写真の位置に向かい、途中から小川の右岸の藪の中を苦労して進み、写真の赤丸位置らしき処に至ると、1軒の民家につきあたった。幸い住人に日本語通訳さんが所在を尋ねると、裏手にあったが、今は破壊され跡形もないという。・・・あきらめた。
<余談>
ブログ<の~んびりタイランド2>氏も訪問されたようだが、氏も発見できなかったと掲載されている。
ところが、ドライバーは東に向かって歩き、通りかかったバイクの人に位置を尋ねたらしい。そうすると自分の所有地にあるとのことで、日本語通訳さんにTELして来た。ラッキーである。その位置は下のグーグルアースに示す。
探し求めた窯址と案内された窯址は距離にして200mほどであろうか。道から一段降りたバナナ畑の中であった。
目を凝らして見ないと分からないが、数か所に陶片が落ちている。写真の右側が田圃で、それに向かって20度程度の下り傾斜がついている。幾つかの煉瓦を見たが、窯体は見当たらない。
地主に了解を得て数点の陶片を拾い持ち帰った。以下、その陶片を紹介する。
残念ながら写真が翠色を表していないが、無数の貫入が走る。現物は明瞭に青磁色を表している。非常に薄胎で厚いところでも、3mmもない。盤か碗の口縁部の破片で、口縁にも釉薬が掛っている。このように薄いと云う事は、余程優れた胎土と陶工の技量が考えられる。残りの陶片については次回紹介したい。
<続く>
タイ語書籍「陶磁器・パヤオ」に掲載されている、Wiang Phayaw古窯址の位置は、下の写真の赤丸枠内である。
ワット・リーを出て東に向かうと、小川が流れている。それを写真の位置に向かい、途中から小川の右岸の藪の中を苦労して進み、写真の赤丸位置らしき処に至ると、1軒の民家につきあたった。幸い住人に日本語通訳さんが所在を尋ねると、裏手にあったが、今は破壊され跡形もないという。・・・あきらめた。
<余談>
ブログ<の~んびりタイランド2>氏も訪問されたようだが、氏も発見できなかったと掲載されている。
ところが、ドライバーは東に向かって歩き、通りかかったバイクの人に位置を尋ねたらしい。そうすると自分の所有地にあるとのことで、日本語通訳さんにTELして来た。ラッキーである。その位置は下のグーグルアースに示す。
探し求めた窯址と案内された窯址は距離にして200mほどであろうか。道から一段降りたバナナ畑の中であった。
目を凝らして見ないと分からないが、数か所に陶片が落ちている。写真の右側が田圃で、それに向かって20度程度の下り傾斜がついている。幾つかの煉瓦を見たが、窯体は見当たらない。
地主に了解を得て数点の陶片を拾い持ち帰った。以下、その陶片を紹介する。
残念ながら写真が翠色を表していないが、無数の貫入が走る。現物は明瞭に青磁色を表している。非常に薄胎で厚いところでも、3mmもない。盤か碗の口縁部の破片で、口縁にも釉薬が掛っている。このように薄いと云う事は、余程優れた胎土と陶工の技量が考えられる。残りの陶片については次回紹介したい。
<続く>