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Gao Ma-Fuang古窯址訪問記・#3

2015-11-21 10:52:42 | 窯址・タイ
<続き>

今回は譲って頂いた陶片を紹介する。もっと良いものをと思ったが、相手があることだし致し方ないであろう。




釉薬は掛っていないが、生土でもない。従って白化粧後素焼をしたもので、何らかの理由で物原に廃棄されたものと考える。外面にも刷毛塗りの白化粧を認めることができる。また、見込み中央には背鰭の印花文の痕跡を認める。想像であるが、半乾き後、魚文の印判を押し、乾燥後スリップ掛けしたものと思われる。いずれにしても素焼した盤があると考えられ、パヤオの多様な焼成方法を垣間見いせている。


鍔付きの盤片で口縁は無釉、内面は薄い褐色の青磁、外面は黒褐釉に覆われている。この手の盤形状はパヤオの特徴である。


これも上掲同様、青磁釉の盤片である。内面の青磁釉は写真映りが今一だが、翠色で無数の貫入が走る。外面は黒褐釉に覆われている。

タイ語書籍「陶磁器・パヤオ」によれば、パヤオの双魚文盤片が紹介されている。
この陶片を書籍は「Tao Wiang Bua」と記すだけで、窯名を特定していない。残念ながらGao Ma-Fuang古窯址に建つ文化センターの展示品にも見ることはできなかった。
しかし、この陶片は多くの事柄を示唆する。この盤片の双魚文は印花文であるが、その印判は凹版で、双魚の文様が浮き上がるようになっている。これは見方によっては、元青磁の双魚貼花文とそっくりである。
Sayan教授によるC14年代法では、1280-1300年を指し示すという。つまり13世紀末である。うーん、これが北タイ諸窯の印花双魚文の嚆矢なのか? 別途紹介するが、サンカンペーンの印花双魚文盤がパヤオ・モンオーム窯で出土している。双方ほぼ同時代と考えるが、印花双魚文はパヤオから北タイ各地に伝播したと見るのが、妥当性が高いと考えている。しかし、もっと重要な命題は、北タイの双魚文は仏教文様の影響を受け、北タイで独自に進化したと考えていたが、やはり中国か!との印象がつよくなった。
                                 <続く>

<予告>

 次回は、Po-Ui Taeng窯を紹介したい。