過日、所用にて京都へ、その往路を寄り道して古代関連博物館や資料館を訪れた。予定していたのは下掲したGoogle Earthにプロットした施設。実際は時間の関係で鳥取県埋蔵文化財センターと安満遺跡公園はパスした。
訪問した博物館で、意外にも驚きをもって観た3種4点の考古遺物ないしはそのレプリカがある。それを以下に紹介する。
堺市博物館展示の黄金(実際は金メッキ)に輝く金銅製甲冑である。仁徳天皇陵から出土したもので、まさか仁徳天皇が身に着けていたわけではなかろうが、相当身分の高い人物が着用していたものと思われる。実際の戦闘場面でこのような甲冑を着用しておれば、目立ちすぎて身に危険が及ぶ。従って儀礼の際に用いたものと思われるが、現在でもそうだが、権力とは恐ろしいものだ。
次の青谷上寺地遺跡出土の銅鐸の鰭である。何の変哲もなさそうだが、その文様に深い意味がある。まずご覧いただきたいとは云うもののコントラストがイマイチで、文様がご覧いただけるかどうか?
余程、眼を凝らして頂かないと分からないかもしれない。二重円圏に内接する4箇所を頂点に内側に弧を描く文様である。これを『七宝文』と呼ぶ。この4箇所の頂点が8箇所あって、同様に弧を描く文様をもつ銅鏡を内行花文鏡と呼んでいる。
この七宝文をもつ銅鐸の鰭に意味がある。銅鐸はご存知のように弥生後期に突然姿を消す。銅鐸を祭祀に用いないエイリアンが突然来襲したのか?・・・この手の話は置いておくとして、銅鐸の消滅は銅鐸工人の行方が気になる。
どこの遺跡から出土したか失念したが、この七宝文を主文様とした銅鏡が存在する。つまり職を失った銅鐸工人は、銅鏡製作工人に転職しいた可能性を示す銅鐸の鰭である。相当苦労したであろうとの察しがつく。銅鐸の文様は流水文や稚拙な人物や動物の線画である。ところが道鏡は中国的な複雑なモチーフが多い。いつの世も転職は苦労する。
3種目は京都大学総合博物館展示の家形埴輪である。家形埴輪と云えば、寄棟造り・入母屋造りが相場だ。しかし、三重県伊賀市・石山古墳(4世紀末)出土の家形埴輪は屋根が片流れ式である。このような屋根の埴輪は初見で、古墳時代に至り、種々の家屋が存在したであろうこがうかがわれ、必ずしも金太郎飴でなかったことが嬉しかった。
家形埴輪はバラエティーに富んでいる。別途紹介したい。
<了>