世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

安来・和鋼博物館

2021-07-08 09:22:26 | 博物館・島根県

旧出雲国は鐵穴流し(かんなながし)による砂鉄採取と踏鞴製鉄(たたらせいてつ)で一世を風靡した。砂鉄のチタン含有率が4%台と極めて低く、品質としては最良であった。その踏鞴製鉄の様子がジオラマで再現されている。

和鋼博物館前庭に、写真の鉧(けら・踏鞴炉から取り出した鉄の塊)が並べられている。

エントランスを入ると写真の足踏み式鞴(ふいご)が出迎えてくれた。

良質の砂鉄埋蔵分布が石見・出雲・伯耆・因幡に分布し、特に出雲に集中していることがお分かり頂けると考える。雲州・松江藩はそれなりに豊かであった。

踏鞴炉の構築手順が模型で展示してあった。表面ではなく地下に、それなり構築物があったことは初見であった。

本床(ほんどこ)と小舟を作る・・・とある。本床とは中央の窪み、子舟とは左右の丸太が詰まっているところのようだ。

本床に丸太というか薪を敷き詰め、土を被せて突き固め天井とする。敷き詰めた薪は蒸し焼きにして炭とする。

・・・すると、上掲のようになり、中央に踏鞴炉を築炉する。なお大掛かりな地下構造は、地下の水気や湿気を防ぐためのものであるという。

左右に足踏み式の鞴を設置して完成する。

江戸末期の操業の様子。このようにして、下写真の鉧を取り出すことができるという。

この鉧から取り出した良質の玉鋼(たまはがね)から、安来市の古墳から出土した鉄刀が復元されており、それが展示されている。

(金銅装双龍環頭太刀 6世紀後半 高広横穴墓出土)

 

(素環頭太刀 4世紀 大成古墳)

出雲の玉鋼なくして全国の刀匠は成り立たなかった。その系統を受け継ぐ日立金属安来工場、いわゆるヤスキハガネを日立製作所は手放すという。特殊鋼に未来はないのか? 日立製作所はより一層選択と集中を推進する意志の表れと受け取りたい。

<了>

 


安来市立歴史資料館(7・最終回)

2021-07-07 07:24:06 | 博物館・島根県

<続き>

今回でシリーズを終了する。今回は出雲国風土記時代の安来平野と中世の尼子氏居城である月山富田城址出土の陶片を紹介する。

教昊寺跡については未訪問。一度は行ってみたいが、わざわざ行くところでないと思うと機会が訪れないかも。

富田城跡出土の国産陶磁と外国陶磁の破片のみ紹介する。これを見ていると越前朝倉氏同様にそれなりの富を蓄積していたものと思われる。

(国産陶磁片)

(タイと朝鮮陶磁片)

その右側には中国陶磁片が展示されていたが、その紹介は省略する。

<了>

 


安来市立歴史資料館(6)

2021-07-02 08:25:04 | 博物館・島根県

<続き>

長らく中断していたが再開する。今回は埴輪と竈(かまど)・甕(かめ)・甑(こしき)を紹介する。

屋根の棟部分が両端で衝角(しょうかく)のように突き出ている。そのため棟が長く軒が短い逆台形の屋根を持つ家形埴輪で、床は土間式となっている。高床式ではないが、当時に在ってはこれが一般的な建物であったと思われる。高床式建物では冬季の寒さに耐えられない。

人物埴輪とあるが、これは円筒埴輪の変形版であろう。

移動式の竈である。上掲のように使われていたであろう。甕に水をいれ、それを沸騰させて甑にいれたコメを蒸して食した。コメは赤米であったろうか。いわゆる強飯(こわいい)であり、これを手食したものと思われる。

<続く>

 


安来市立歴史資料館(5)

2021-06-24 08:41:01 | 博物館・島根県

<続き>

今回は須恵器と土師器を紹介する。量的には貧弱であるが、全国的に分布するそれらの器が安来平野の古墳からも出土している。先ずは須恵器から。

弥生時代ー古墳時代を通して高坏が作られた。高坏は食事を盛る器である。当時、食卓はなかったものと思われ、食事を盛った皿を地べたにおくよりも衛生的であった。今日の日本では食事に高坏は使わない。以下の2点は土師器である。

<続く>

 


安来市立歴史資料館(4)

2021-06-22 08:04:16 | 博物館・島根県

<続き>

今回は古墳時代の武具を紹介する。

キャップションにあるように月坂放レ山5号墳出土の短甲である。キャップションにも記されているが、武人としてこの地域のリーダーであったろうとのこと。

この手の短甲は全国の古墳から出土する。古墳時代と云えば平和な世の中であったと想定しがちだが、各地から出土すると云うことは、村落・地域を守るのは武人であり、それなりの小競り合いは二一条茶飯事であったとも想定される。

<続き>