世界の街角

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Sai Khao古窯址訪問記・#1

2015-11-29 09:04:27 | 窯址・タイ
Ban Champoo古窯址より国道1号に戻り、再び北上すること約5kmで家並が見えてきた。徐行してバン・ノーンパックジックの道路標識のところを左折し、パーン・ポンデーン古窯址に向かう。1kmも進んだであろうか?住居前に人をみたので、場所を尋ねると要領を得ない。更に近くにいた人にも尋ねるが、知らないようである。行ってみたいが、2人以外に尋ねる人もいない、チェンマイ国博の前庭に移築復元されていることもあり、残念だがあきらめることにした。
いよいよ最後はバン・ノンパックジックの家並の手前にある、窯址群の探索である。国道1号左折地点より3kmも走ったであろうか、丘を下って平地に出た地点に小川が流れており、そこを右折したまではよかったが、そのどこに窯址があるというのだ?
運が良いのは重なるのか?たまたまバイクで通りかかった農夫に尋ねると、自分の所有地に在るので、ついて来いとのこと。追走すること1.5-2kmで小川が左へターンするところが目的地であった。何とラッキーなことであろう。

そこは、周囲が田んぼで、半径150m程のこんもりと木々が茂る林の中で、半分はラムヤイ(竜眼)の果樹が植わっている。

<窯址位置>

   北緯19°39′40,05″ 東経99°43′17,00″ 付近

そこを入るといきなり左手に高さが1.5m、長さが5-6mのこんもりした封土がある。そこが窯址のようで、陶片が散乱していたが、窯の概要は分からない。


そこから、150-200m進んで林の南端で田んぼとの境界付近に、比較的窯体が残る場所に案内された。そこはタイ芸術局が過去に発掘調査したようで、立て看板が残っていた。しかし、そこには窯名称の記載があるのかどーか、案内して頂いた地主にたずねるが、窯の名前は無いという。そこはサイカーオ地区なので、勝手にバーン・サイカーオ古窯址と命名した。残念ながらそこの窯址は、タイ芸術局の調査とともに陶片も全て回収されていた。
上の写真の木々の繁み一帯が窯址群であるが、下の写真以外は破壊されており、窯址と認識はできない。




煙突部らしき構築物と焼成室の基盤部分の煉瓦が残るが、焼成室幅が2mほどであったので、全長は5-6mと推測された。
残念ながら、ここも地元の案内人がいないかぎり、近くまでアプローチできても、古窯にたどり着くのは困難と思われる。
帰途、ラムヤイ畑のなかは陶片の散乱物が無数に在る。当該ブロガーが物色をはじめると、地主も一緒に探してくれる。陶片6枚、焼成支柱1個を頂戴して帰路についた。次回はその採集陶片を紹介したい。




                                <続く>