世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

物原出土のミャンマー青磁・NUS博物館パンフレットより:#3

2017-12-31 07:15:30 | 東南アジア陶磁

<続き>

1999年に考古学会は、カンジーゴン窯を発掘した。発掘を見学していた好奇心旺盛な地元の人々は、過去に目にした陶片を紙上に描写し、グループのメンバーに紹介し始めた。プロジェクトの話しが広がるにつれて、土地が耕作されたときに陶片が地面から上がってくるという情報が、多くの人々によって語られた。これらの話からトワンテの南東にあるパヤジー(Phayagyi)やザウティー(Zawti)やパウッコーン(Paukkone)の村など、多くの生産拠点が発見された。

(カンジーゴン窯のブロック化した窯壁:出典・NUS博物館パンフレット)

(パヤジー窯址:出典・NUS博物館パンフレット)

(パウッコーン窯発掘前調査:出典・NUS博物館パンフレット)

窯場は主要な道路から竹林を越える必要があった。これらの窯に関連する製品の最大のカテゴリーは青磁である。発掘されていない場所では、異なるサイズの青磁の鉢と盤が落ち葉の中に埋もれていた。動物肖形はるかに少ない量で見つけられた。焼成室の窯道具の一部であった多くの管状支持体は、陶片の間に散在している。焼きあがった陶磁は、離れた場所に集められて選別され、失敗した品は捨てられた形跡がある。

パヤジーで出土した中国の青花盤は、パヤジー窯が15世紀であったとの時期を提供している(Nan Kyi Kyi Khiang 2009:44、Tsuda 1999を引用)。アラブ首長国連邦のJulfar(Sasaki 2002)の15世紀の遺跡の発掘調査では、ミャンマーの青磁鉢と盤が発見された。

(出典・NUS博物館パンフレット:出品ではなく写真掲示)

Julfarの青磁の形、釉薬、装飾的なスタイルは、トワンテ地域の窯場にあるものと同じであった。金沢大学の研究者らは、2つの地点からの陶磁の科学的分析結果が一致したことを確認した(Sasaki 2002)。ミャンマーの青磁は、レナ・ショールとブルネイ・ジャンクの2つの難破船から回収されている。これらは、15世紀後半から16世紀初頭にかけてのものであった(ブラウン2009:62,65)。これらの発見は、ミャンマーの青磁が時代の商業的利益の産物であったことを示しており、この陶磁器に関連するトワンテ周辺の窯の分布は、その地域が歴史的に重要な生産拠点であったことを示している。

                         <続く>

 


物原出土のミャンマー青磁・NUS博物館パンフレットより:#2

2017-12-30 08:12:11 | 東南アジア陶磁

<続き>

トワンテ青磁生産センター

ミャンマーの青磁を生産する陶窯地の探索は、歴史的な横焔式窯を主に研究するために始められた考古学的プロジェクトから始まった。1988年、ヤンゴンの北東にある町ラグンビー(Lagumbyee)(Hein 2003:5)では、横焔式窯の存在が確認された。

(ラグンビー窯:出典・Department of Archaeology and National Museum of the Myanmar)

更に地下式と地上式の窯は、後にイラワジ(Ayeyarwady)デルタのミャウンミャ(Myaungmya)で特定された。考古学的発掘調査では、粉砕台、陶製の瓶、ダークブラウンの釉薬を入れた鉢、様々な青磁鉢、盤、肖形などの様々な製品が明らかになった(Hein 2003:7-20、52-60)。

Myo Thant Tyn氏は、考古学学科の顧問として、ラグンビーとミャウンミャのプロジェクトに携わっていた。膨大な量の泥灰堆積物を含む領域を追跡調査する作業は、トワンテ運河の岸辺を覆う陶片を対象とした。

(トワンテのランドマーク:出典・博物館パンフレット)

 トワンテはヤンゴン(Yangon)の西南西に位置し、町の北側の運河はヤンゴン川とつながっている。19世紀の英国統治領下、トワンテには裁判所と警察署があった。そこでは作家ジョージ・オーウェルが、ビルマの警察官として短期間勤務した。英国人はトゥワンテを「ラングーン市場に陶磁を供給し、イラワジのデルタの大部分にも供給している賞賛された場所」と説明した(The British Burma Gazetteer 1879:848-849)。

多くの出土陶片を集めたトワンテの人物はU Than Tin氏である。この地域で生まれた彼の関心は、考古学界の注目を集めるずっと前の約40年前に始まった。これらの多くの陶片によって表される品物の多様性は、陶磁器経済の主要な輸送動脈として運河を使用し、窯道具の発見は周辺地域に生産拠点の存在を示唆している。 Myo Thant Tyn氏とU Than Tin氏は、数寄者を集めキルンサイトの検索を開始した。そのグループは地元の人たちと話をするだけでなく、古代のキルンスポットのためのいくつかの基本的な指標も参考にした。陶片は運河にたくさんあったが、窯は謎であったもののトワンテの約2マイル南にあるカンジーゴン(Kangyigone)として知られている地域で、窯址が確認された。村人は2つの溶融した鉢をチームに見せ、見つけた場所に案内した。

                           <続く>

 


物原出土のミャンマー青磁・NUS博物館パンフレットより:#1

2017-12-29 08:10:24 | 東南アジア陶磁

過日HIS・KL支店でシンガポール往復便と宿泊手配に出向いたが、ホテル・航空券bookingで空き無しや料金高騰、イミグレの混雑等々から年末は避けたが良いとのことで、NUS博物館行は断念した。幸いNUS博物館の当該展示会のパンフレットを入手していたので、そのパンフレットから展示内容を紹介したい。

パンフレットの表紙が上掲写真である。以下に、その記載内容の概略を紹介する。

物原出土のミャンマー青磁の再展示は、ミャンマーの歴史ある窯から出土した陶片と、灰釉薬を使用した現代陶器の作品と一緒に展示する。現代の商品には、「セラボン(celabon)」という名前が付けられている。

宋時代から輸出された中国の青磁は、陶磁学者の間で人気のある研究分野である。タイの青磁に関する研究の一環として、難破船からの貨物の調査により、タイの窯は15世紀初頭から約100年間青磁の積極的な輸出陶窯であったことが示されている(Brown 2009:51-68)。 これとは対照的に、古い横焔式窯が発見されたことをきっかけに、注目すべき青磁の生産センターとしてミャンマーが浮上してきた。そのことについて学者の間での認識は、過去20年前からのことである。

 

青磁は、その釉薬の厚くて光沢のある質感のために重宝されていた。青磁の製品は、焼成中に酸素の量が減少すると、釉薬中の鉄と酸化チタンから誘導される緑色のスペクトルになる(Wood 1999:30)。 シリカは、ガラスのような仕上げをもたらす釉薬中の化合物である。シリカの融点を下げるために、木灰が融剤として添加された。下ビルマの歴史ある窯の小片はオリーブグリーンの色合いをしており、そのような釉薬で覆われた多数の鉢と盤の断片が、発掘された窯や未開発の生産現場から回収されている。

中世ミャンマーの陶工は灰釉薬を知っていたが、同時代の人々はこの技術に慣れていなかった。但しシャン高原のホーナー村のグループは例外である。
歴史ある青磁窯の発見は、ミャンマー陶磁協会のMyo Thant Tyn氏が率いて、トワンテで行った。

                          <続く>

 


イスラム国家の半端ないクリスマスツリー

2017-12-29 07:21:00 | クアラルンプール

仏教国日本と同様に、イスラム国家マレーシアでもクリスマスを祝うのか、それとも単なるイベントか? ショッピングセンターのツリーが半端ではない。当然ながら日本の大手デパートの及ぶところでもない。何故イスラム国家マレーシアで・・・との印象が拭いきれない。先ずブキビンタンのパヴィリオンのそれから紹介する。

次はスリヤKLCC(ツインタワー)のツリーで小屋までディスプレーされている。その規模が半端でない。

なんでも年末まで見られるとのこと。マレーシアで年末・年始をお過ごしの方、一度出かけられてはどうですか。

 


KLCC新築現場の左右は中国、前は韓国・続編

2017-12-28 07:18:14 | クアラルンプール

前回といっても2015年3月28日に『KLCC新築現場の左右は中国、前面は韓国』と題して、クアラルンプールの超高層ビルの建設現場に、日本の建設会社はなく中國や韓国の独擅場だと紹介した。リニア新幹線をめぐり、またまた談合とのこと、コスト削減努力をせず、高コストの採算割れ防止の談合。飽きもせず繰り返されるので、企業努力は必要ない。このような会社が経済成長著しい東南アジアや中東で、受注できるはずもない。中国や韓国がこれらの諸国で活躍している姿を見ると羨ましい。

上は2015年3月28日投稿記事の中国鉄建によるホテル・フォーシーズンズの建築現場であった。約3年を経過した現在の姿は以下の通り。

進捗率は90%程度であろうか。前面の双龍グループが手掛けていたコンドは完成していた。

いずれも高層過ぎて、横画面には入りきらないので、高さを感じて頂けないのが残念である。

噺は少し飛ぶが、2年前までは日本大使館周辺は閑静な住宅地であったが、今回行ってみてビックリした。高層コンドやレジデンスの建築ラッシュである。当然ながら日本の建設会社の名前を見ない。

大使館対面は、上写真の手前の建物が立ち並ぶ高級住宅地で、閑静そのものであったが、今後は煩くなるだろう。

KLIAトランジットに乗っていると、超高層ビル新築現場が目に入った。

どこが請け負っているか知らないが、いずれKLの新名所になるであろう。談合に明け暮れず、工期短縮と更なる耐震技術開発、コスト削減工法の開発を進め、世界の建設会社へ名乗りを挙げて欲しいものである。