世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

Cebu bai Hotelのバッフェ(2)

2018-11-19 06:56:05 | グルメ

盛付けが下手なので、盛付け写真は以下の1葉だけにしておく。

目的のレストランは2階にあった。席は400席以上と広い。清潔感があり、感じは申し分ない。料理はモンゴリアン、中国、日本、インディアン、スパニッシュ、フィリピンと幅広い。以下その極一部を紹介しておく。

スイーツもそれなりに並んでいる。月曜ー金曜は税抜きで599pesoで、サービスチャージと税込みで、一人当たり750peso(約1500円)である。我々は小食で所謂割り勘負けするが、ホンの一切れづつ、各種料理を食す楽しみがあり、割り勘負けのイメージは残らない。普通の食の太さの人であれば、満足感がのこることは間違いなし。お薦めしたい。

<了>

 

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Cebu bai Hotelのバッフェ(1)

2018-11-17 06:36:40 | グルメ

セブでは【呑ん気】と【Skilet】以外は、どーでもいいレストランを紹介してきたが、少しまともな処と思いbai Hotelのレストランへ行ってみることにした。そこは滞在先の東横インから1.5kmほど海よりである。

ロビー中央にはクリスマスツリーがディスプレーされている。本日は上流階級の結婚式があったようだ。女性は薄いピンクのドレス姿である。

外面とロビーはそれなりの出来である。agodaは5つ星、Expediaは4つ星、Boking.comは4つ星の評価である。自分なりにはんだんすれば、やはり4つ星であろう。ホテルの経営姿勢を判断するにはトイレを覗いてみることだ。

清潔感溢れている。掃除が行き届いている。何やら本日のレストランは期待がもてそうだ。

【梅】と呼ぶ日本食レストランがある。エントランスのイーゼル(画架)にメニューは無い。ウエーターを呼んで確認すると、一品料理で最低350ペソから。セットメニューは無いかと尋ねると弁当があるという。写真をみると貧弱、それが1000ペソ(2000円)阿保くさい止めた。しかし年末年始はよさそうだ。そこでバッフェにすることにした。場所は2階である。

 

<続く>

 

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セブの三ツ矢堂製麺は駄目だった

2018-11-16 08:20:23 | フィリピン・セブ

Bonifacio Districtと呼ぶComplexと云うか商業施設に出店していると云うので寄ってみた。

関西以西の人間にとって三ツ矢堂製麺とは・・・? 東京を中心に関東に展開しているようだ。”うどん”と云えば杵屋、はなまる、丸亀製麺しか知らない。三ツ矢堂製麺とは何ぞや、一度は話のタネである。

それなりの入りである。柚風味つけ麺が良いとの評判。しかし麺はなじみの薄い丸い細麺。家内がオーダーした。噛むと腰がないとの表現が相応しい。柚風味とは名ばかり、豚骨スープではないいか・・・騙されたとの印象にちかい。

小生は天丼にした。御飯は吉野家より良かったが、天婦羅のタレが甘すぎて口に合わない。

柚つけ麺270ペソ、海老天丼290ペソ、ここまでは不味くとも何とか我慢できるが、サービスチャージが50ペソ・・・何をサービスしたというのか。東京や関東人にはよかろうが、関西の影響を受けている当該ブロガーには、からきしダメであった。

その三ツ矢堂製麺の隣はCoCo壱が出ている。こちらの方がよっぽどましであろう。

<了>

 

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チェンマイ山岳民族住居博物館(7)

2018-11-15 06:51:31 | 東南アジア少数民族

山岳民族住居博物館として連載していたが今回が最後である。その最後はリス族住居で、切妻屋根の土間式住居である。

 リス族はサルウィン川に沿った南北に伸びる帯状の地域に展開している。本貫地はチベット、雲南省西北部、ミャンマー・カチン省の領域と考えられている。タイ国内ではチェンマイ、チェンライ、メーホンソン県に居住する。鮮やかな彩色の服を身に着けている。

写真はウキペディアより借用した。地域により衣装は少し異なるようだ。

チェンマイにお越しの方々、観光地見物も結構だが、山岳民族博物館は中心部から近いので、是非見学して頂きたいものである。

<了>

 

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チェンマイ山岳民族住居博物館(6)

2018-11-14 06:25:49 | 東南アジア少数民族

<佤族住居>

北タイでは佤族をラワ族ないしはルワ族と呼んでいる。佤族=倭族と定義したのは、鳥越憲三郎氏である。これは単なる語呂合わせに過ぎないと考えているが、住居形式には近しいものがある。しかし民族そのもは、紀元前後にミャンマーのマルタバン湾からサルウィン川を遡り、チベット系民族と混ざった後、タイのチェンマイ盆地に進出した。メンライ王の祖先・ラワチェンカラートは、ラワ族だとする年代記が残る。従って鳥越憲三郎氏が述べる、揚子江中下流域の倭族の一派が南下した集団と本質的に異なる。

村落にはタイ語でラック・ムアンと呼ぶ村の祖柱があり、土俗信仰のシンボルとなっているそうだが、それは未だ目にしていない。

竹造式高床式住居で屋根は入母屋造りとなっている。基部も竹造で他の民俗の木造と異なる。

夏は涼しくて良さそうだが、山間部の乾季は最低気温が10度以下となり、寒くてかなわないと思われる。写真にもあるように囲炉裏がきってあり、乾季にはそれで暖をとっているであろう。

 

<続く>

 

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