世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

出雲開催『しきしまの大和展』(18・最終回)

2021-06-15 07:21:20 | 古代大和

<続き>

今回は飛鳥・奈良時代の展示品の一部を掲載して終了する。歴史が明らかな時代は、あまり興趣がわかないことによる。

先ずは古墳時代後期と飛鳥時代の須恵器を御覧頂きたい。

円形の硯である。この手の円面硯は全国的に出土する。もっともポピュラーであったと思われる。

古事記を編纂したのは太安万侶である。古事記にも記載があることから実在の人物と云われていたが、墓誌が出土するに及びそれが証明されることとなった。この墓誌は重要文化財に指定されている。

以上で17回に及ぶシリーズ掲載を終了する。大和と出雲、出雲は大和に征服されたとの単眼では見えないであろう。出雲は神々の琉竄の地であったのか、それとも神々発祥の地なのか。三輪山の神を筆頭に大和に残る出雲系の神々、大和に残る出雲の地名をみると一筋縄ではいきそうにない。このような交流展は互いを理解するのに有用である。

<了>


出雲開催『しきしまの大和展』(17)

2021-06-14 08:20:33 | 古代大和

<続き>

今回は展示されていた埴輪である。

埴輪の男性は左衽(ひだりおくみ)で今日の右前とことなる。髪型は古墳時代の美豆良(みずら)である。頸には勾玉と小玉の首飾りをつけている。下半身は袴にスカート状の下裳(したも)を重ねばきしている。

見返りの鹿は、それなりの造形能力を感じさせるが、見返りの鹿と云えば、おらが出雲のこれであろう。

これは松江市・平所遺跡出土の埴輪で、その造形能力の高さから重要文化財に指定されている。出雲の埴輪工人の能力が窺い知れる。

<続く>


出雲開催『しきしまの大和展』(16)

2021-06-11 06:50:18 | 古代大和

<続き>

奈良県立橿原考古学研究所付属博物館収蔵品を中心に展観している『しきしまの大和展』は、東京・横浜・福岡・出雲の巡回展のようだが、何故か出雲だけは他の3箇所以外の特別追加展示があるという。その理由の詮索は置いておき、今回はその特別追加展示の「藤ノ木古墳」出土遺物等を紹介するが、残念ながら馬具・装飾品の一部が展示されているにすぎない。尚、藤ノ木古墳は6世紀後半に築墳されたとするのが定説である。

杏葉の中央には向かい合う鳳凰が刻まれているが、お分かりであろうか。

中央には右向きに龍が刻まれ、眼にはガラス玉がはめ込まれている。

馬具としては2種5点の展示で、きらびやかな鞍の展示はなく残念であったが、金色に輝く馬具類の一端を見ることができた。この馬具類の装飾を見ていると仏教的要素が目に付く。仏教の公伝は6世紀半ばの欽明天皇の時に百済伝来した。藤ノ木古墳の築墳は6世紀後半である。時、既に仏教文様は普及していたと考えられる。今回展示にはなかった鞍金具には象や獅子、パルメット文様をみる。パルメットは上掲の杏葉の上端に対で刻まれている。

象や獅子は、百済や新羅、日本の他の出土遺物では見られないもので、中国の仏教遺跡に多いという。つまり、馬具類は朝鮮半島南部の影響を受けたであろうが、文様は中国の影響も受けており、日本でモディファイしたものであろう。

以上が国宝の展示で以下、復元品である。

背に背負っていた装身具とのこと。気が遠くなるような仕業である。権力者の力を示すに十分であろう。

よくも6世紀に、このような精巧なものを作ったものだと感心する。工人集団の技以外に考えられない。既にこの時代に双魚の魚佩が存在していたことに注目したい。当件に関しては別途記事にしたいと考えている。

<続く>

 


出雲開催『しきしまの大和展』(15)

2021-06-10 09:11:33 | 古代大和

<続き>

今回は新沢千塚出土の金製垂飾付耳飾や装飾具と土器類を紹介する。新沢千塚の被葬者が誰なのか知る由もないが、今回紹介する耳飾り以外にも耳飾りが出土している。朝鮮半島との繫がりが指摘されているようだ。

準構造船の埴輪が、何故内陸の大和から出土するのか。和泉など海岸沿いの古墳なら理解できるが・・・。寺口和田1号墳の被葬者は準構造船で和泉(多分に大和川流域)に到着した人であったと思われる。その渡来元は朝鮮半島であったのか、北部九州であったのか?

<続く>