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誕生 隠岐国展                       

2024-05-09 09:10:44 | 古代日本

過日、県立古代出雲歴史博物館にて『誕生 隠岐国展』を観た。隠岐諸島に地域のまとまりが形成されていく6世紀から、対外関係で重視されるようになった9世紀にかけての、隠岐の古代史をテーマに展示されていた。

個人的には有史以降の歴史については興味を持たないが、何故か対馬、壱岐の弥生時代から古墳時代にかけての遺物が、少数ながら展示されていたので、それらを中心に紹介する。

御存知のように『魏志倭人伝』には、対馬国と一大国(一支国・壱岐国)の様子が著述されている。

始度一海千餘里至對海(對馬)国 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

対馬は方四百ばかりで山険しく深林が多く、道は獣道で約千戸の人家があるも良い田圃がなく、海物を食して自活している。壱岐は方三百ばかりで、竹木叢林が多く三千余戸で、僅かに田地あるも猶食するに足らずとある。つまり両国ともに南北に交易していると記されている。

その対馬国の存在を示す、弥生時代後期(2世紀)の遺物・粟粒文方柱十字型剣把頭飾と古墳時代の遺物が展示されていた。

弥生時代の一大国(壱岐)の存在を示す遺物の展示はなく残念であったが、そこには原の辻遺跡なる集落が存在していた。そこからは人面石や龍の線刻絵画土器等が出土している。一大国の古墳時代の出土品として、新羅土器が展示されていた。それは過去より、見たいモノのひとつであった。

大和王権は新羅とは友好関係になく、出兵さえおこなっている。そのような中で、新羅との交易を示す新羅土器の出土である。壱岐は新羅と大和王権との仲介をしたであろう。

隠岐は対馬や壱岐とは異なり、弥生時代から古墳時代にかけて、半島と直接的な交渉はなかったであろう。隠岐の古墳時代の出土品が展示されていたが、いずれも本土との交易により入手したもので、半島からの渡来を感じさせるモノはなかった。

隠岐の島町飯ノ山横穴墓(古墳時代終期)出土の壁画片は初見で、隠岐にも装飾古墳が存在していたことは驚きであった。

<了>

 



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