世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

福津市歴史資料館(カメリアステージ)・その4

2022-08-31 07:33:16 | 博物館・福岡県

<続き>

蛇行鉄器は騎馬民族の持ち物以外の何物でもない。北部九州と大和、なぜか関東で出土する。関東は渡来民族の集住地ではあるが・・・。

下のパネルは朝鮮半島南部の出土地を記しているが、当然のこととして半島北部から南下したものである。

江上波夫氏の騎馬民族渡来王朝説は考古学的には、氏の説と墳墓の発生や出土遺物の関係から否定されているが、この雄大な論説には惹かれるものがある。緻密な論証を抜きにして、蛇行鉄器のような騎馬民族の持ち物が出土することは、倭王権にとって変わったかどうかは抜きにして、騎馬民族が渡来したことは否定のしようがない。

今回で福津市歴史博物館の展示物の紹介を終える。

<了>


福津市歴史資料館(カメリアステージ)・その3

2022-08-29 08:11:37 | 博物館・福岡県

<続き>

今回は、宮司井手ノ上古墳、手光波切不動古墳、手光於緑遺跡からの出土品を紹介する。

木製短甲は、弥生遺跡からも少数が出土しているが、下写真の短甲は古墳時代前期のものであり、鉄製短甲が貴重品であったことを伺わせる。時代のイノベーションを問わず、戦いは何時の時代にも存在していた。

宗像地域の古墳からは、沖ノ島祭祀で使用された品々と類似する出土品が多い。その祭祀を司った宗像一族の奥津城(墳墓)と考えられている。

上掲の鉄製短甲(よろい)は、朝鮮半島から直接持ち込まれたものか、鉄の延べ板(鉄鋌・てってい)を朝鮮半島から持ち込み、宗像の地で製作したものであろう。いずれにしても馬韓・伽耶とは一衣帯水の地であった。

<続く>

 


福津市歴史資料館(カメリアステージ)・その2

2022-08-28 08:27:36 | 博物館・福岡県

<続き>

津屋崎古墳群からの出土品の内、前回に続いて勝浦峯ノ畑古墳の出土品と勝浦井ノ浦古墳の出土品を紹介する。

津屋崎古墳群の中から、前回は勝浦峯畑古墳の出土品を紹介したが、以下の装飾品類も当該古墳の出土品である。その出土量は半端な数ではなさそうだ。

以下、勝浦井ノ浦古墳の出土品である。

挂甲小札(鎧のパーツ)や馬具、鉄製武器が出土している。当該宗像地域は、古墳時代中期にいたると朝鮮半島南部と関連する遺構や遺物が多々出土する。

竈(かまど)を伴う竪穴住居やオンドル状遺構を伴う竪穴住居、鍛冶工房などが現れ、陶質土器や移動式竃が出土する。この状況から朝鮮半島の新たな生活様式や技術の伝播が分かる。竪穴外排水溝を伴う竪穴住居が出現するが、それは全羅道(馬韓)の集落遺跡の特徴で、馬韓系の人々の渡来を示している。

この事は次回も、遺物を示しながら記してみたいと考えている。

<続く>

 


福津市歴史資料館(カメリアステージ)・その1

2022-08-26 08:03:03 | 博物館・福岡県

今回から福津市歴史資料館の展示品を紹介する。玄界灘に面しており、弥生時代の奴国に接している。その弥生時代の出土遺物ではなく、古墳時代の出土品が豊富に展示されている。古墳とは、新原・奴山古墳群で、その遺物が素晴らしい。

先ず、宮地嶽神社に在る宮地嶽古墳出土品である。写真のような立派な金銅装頭椎大刀(復元品)が出土している。

以降は、下掲の案内に沿って展示品を紹介する。

先に新原・奴山古墳群と記したが、それは津屋崎古墳群の一部のようである。以下、歴史資料館の展示順に紹介する。

まず、奴山正園古墳からの出土品である。

続いて新原・奴山1号墳の出土品である。

次は、勝浦峯ノ畑古墳の出土品。

(青銅鏡 5世紀)

当該古墳からは、青銅鏡が8面出土している。それなりの首長が埋葬されたものと思われる。

<続く>


海の道むなかた館(4)

2022-08-25 08:40:22 | 博物館・福岡県

<続き>

当該宗像地域は、古墳時代に入っても人々の営みは継続され、多くの古墳や住居遺跡が発掘調査されている。以下にそれらの展示物を紹介する。

騎馬民族の渡来を示す遺物も出土している。当該地域は朝鮮半島南部との往来が頻繁であり、磐井の故地でもある。

金製耳環の故地は朝鮮半島である。今回で海の道むなかた館の展示品紹介を終える。

<了>