世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

出雲の神奈備と弥生遺跡

2022-05-30 08:37:07 | 古代出雲

やや大上段に構えたきらいが無きにしも非ずであるが、旧出雲国の領域で青銅器が出土するのは、何故かカンナビ(出雲では神名火、神名樋と表記)と関連がありそうである。何故なのか・・・について考えてみた。

カンナビとは大和では神奈備と表記するようだが、他に甘南備、神名火、神名備、神名樋などとも表記している。上掲写真は、出雲国出雲郡に聳える、日の出前の神名火・仏教山である。

大和の三輪山は、本邦の代表的なカンナビである。ところが何故か三輪山に鎮まるのは出雲族神の大物主(大国主)である。

御諸山とは三輪山である。『古事記』には大国主命が自ら『吾を御諸山に斎き奉れ』と、云ったことが記されている。これをもってカンナビと称するようだが、カンナビの言葉自体が、勘ぐりも含めて出雲発祥のように思えなくもない。

手元に、全国60カ所の『カンナビ』と称する山体の形状別数の調査結果がある。三輪山のような孤立峰(独立峰)が大多数と思いきや、そうでもなさそうである。

上掲写真は、出雲国風土記の楯縫郡条の神名樋山についての記述箇所である。出雲国風土記は国内に4カ所のカンナビが存在すると記している。下の写真は、上掲風土記の楯縫郡の神名樋山で、現在は大船山と云い、三輪山形状である。

出雲郡の神名火は、上掲4タイプの『端山』ないしは『尾根肩』の臥牛山形状である。

青銅器埋納地については、出雲に限らず丘陵あるいは尾根の斜面、つまり谷の中腹とのことである。我が出雲もその例に漏れない。

馬鞍山の所在は雲南市大東町幡屋字西谷である。地元の人に確認した訳ではないので、この馬鞍山を『カンナビ』ないしは『神体山』と呼ぶかどうか分からないが、頂に祠が鎮座することから神が宿る山との認識は存在していたであろう。

神庭荒神谷や加茂岩倉ほど著名ではないが、松江市の志谷奥遺跡からも青銅器が出土している。銅鐸と出雲形銅剣が出土した。

ここまで時代観綯い交ぜの話しをしてきた。古事記や出雲国風土記の時代、つまり8世紀初めと3世紀初め頃の弥生時代の事どもを綯い交ぜにしているのである。では、これらの伝承が何処まで遡れるのであろうか。

上掲写真に示したように、これらの伝承は5世紀中頃までは遡れそうであるが、3世紀前半の弥生時代まで遡れるとの確証は得られていない。

以上みてきたように、出雲の青銅器埋納地はカンナビと繋がっている。何故カンナビと繋がるのか。

一般的に祭器と呼ばれる青銅器は、農耕儀礼用の祭器であろうか。元山口大学教授の近藤喬一氏は、農耕儀礼に用いたものだと云われている。それにしては、山中の谷奥から出土するのは何故か、農耕儀礼であれば、何故耕作地の周辺から出土しないのか・・・との単純な疑問が湧く。

青銅器埋納地は神祀の場であった。埋納地から望むカンナビに祖霊を迎え、青銅器を用いて祖霊祀りを行ったのである。中には銅鐸を鳴らして祖霊を迎えたのであろう。神社において神主が「オー(警蹕:けいひつ:という)」と唱えて神の降臨を仰ぐ様子と同じように。

以上、証明不能な話を長々と綴らせていただいた。

<了>

 


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#41

2022-05-29 07:46:37 | 東南アジア陶磁

以下、3点紹介する。最初はサンカンペーン古窯のいわゆる『犬の餌鉢』と呼ぶ、無装飾の青磁盤である。犬の餌鉢の多くは、青磁釉の還元度合いが低かったり、釉薬中の鉄分が少なく肌色に発色しているが、下写真の鉢は還元焼成され青磁色に近い発色をしている。

次もサンカンペーンの褐釉双魚文盤で、これも本歌で程度がよさそうである。この手の盤は、十数年前のチェンマイでは日本円で3万円は下らなかっったが、オークションの落札価格は十分の一である。今日タイでは幾らするのか、次回訪タイ時の要確認項目である。

次は、シィサッチャナーライの刻花文青磁玉壺春瓶である。シィサッチャナーライは専門外ではあるが、本歌であろう。それなりのものと思われるが、落札価格までは確認していない。

<了>

 


家の周囲に咲いた花々

2022-05-27 10:12:10 | 日記

季節は春と云うより梅雨前となった。最近、家の周りに咲いた花々である。

ノリウツギ

ダールベルグデージー

トゲなしレモン

フィンガーライム

ニオイバンマツリ

薔薇

ヒルサキ月見草

薔薇

今年ようやく咲いてくれたオリーブ

鉢植えから地植えに移したブドウの花

オリーブが結実するのかどうか、それなりの楽しみである。

<了>


MAYA・フードコートのリニューアル

2022-05-26 08:30:33 | チェンマイ

過日といっても1カ月ちかく経過したであろうか、Chiangmai Newsを見ていると、二マンへーミン交差点に在るMAYA(メーヤ)のフードコートがリニューアル・オープンしたとのこと。

御覧の通り、明るい雰囲気に一変している。記事の詳細を見ていないので、オーダーから支払いまでのシステムがどうなっているのか。PayPayのようにスマホ決済になっているのか・・・と想像している。チェンマイが変化するスピードは、想像以上である。ここ3年訪ねることができずにいるが、次回の訪問がいつになることやら。

<了>


出雲は+と×の王国 ―日本古代の道教(其之五)―

2022-05-25 07:33:17 | 古代日本

当該ブログで政治的な事どもは、あまり記載していないが、山口県阿武町は我が島根県益田市の隣町で、それなりの関心事である。田口翔容疑者に4630万円が誤って振り込まれ、それを流用された事件。事件の一連の過程を追うと、呆れたことばかりであるが、阿武町が契約した中山修身弁護士の費用が463万円とのこと。当該弁護士は対象額の1割であり、決して高額ではないと宣わるが、漁夫の利以外の何物でもない。阿武町が取り戻したのは、約4299万円とのこと。してみれば田口容疑者の流用額は331万円となる。その額を上回る463万円が弁護士費用と云う。言葉が悪くて恐縮であるが、中山弁護士は何を考えているのか、通常ならボランティアであろう。弁護士の風上にもおけない人物であろう。

<先週水曜日の続き>

とんでもないことから書き始め失礼しました。『出雲は+と×の王国』とは、やや誇張した表現と思わなくもない。

以下、松本司氏の著述内容を元本に考えてみたことである。陰陽道における四神相応吉祥の地とは、陰陽の交差により霊力が生まれるとの考え方である。それを単純に図形化したものが+や×で示されると、氏は記述されている。

その+字形を陰陽五行説の相克説では、五芒星の形で表されるという。それは須恵器の刻書や墨書による魔除け・辟邪の文様として見られる。

五芒星のバリエーションの一つに、五山送り火の大がある(五山の送り火については諸説そんざいする)。

(出典・京都市公式HP)

大は人の形であると同時に魔除け、厄除けの形であると松本司氏は記す。長野県木島平村の根塚遺跡から出土した3世紀後半の土器に刻まれた大もそれであろうか。

(長野県木島平村パンフレット)

+字形は冠木門(閂・かんぬき)形、井桁、九字、格子の文様などのバリエーションを持っている。

これらの文様は、古代出雲でそれなりにみることができる。先ず十字形である。加茂岩倉遺跡から大量の銅鐸が出土した。袈裟襷文銅鐸の田の字というか十字の文様で、その帯の内側は格子文様である。

次は×の文様であるが、加茂岩倉遺跡出土銅鐸39口中13口、神庭荒神谷遺跡出土銅剣358本柱344本に×印の刻印が刻まれている。写真は銅剣中子(軸)に刻まれた×印である。

×と云えば、出雲大社の千木は×形であり、ついでに四隅突出墳丘墓も×にみえる。

宍道湖沿岸の後期古墳(伊賀見1号墳、下の空古墳等々)の玄室閉塞石には冠木門(閂:かんぬき)状の文様を見ることができる。

(下の空古墳復元石室:来待ストーンミュージアムにて)

格子文は銅鐸にも多用されているが、松江市の丹花庵古墳の石棺文様にも見られる。

(丹花庵古墳石棺:現地にて)

このように弥生時代以降、およそ魔除けが必要と思われるものに、これらの文様が用いられている。以上、松本司氏の見解を自分なりに解釈して記述したが、時代は弥生時代後期から古墳時代にかけての話しを、ごっちゃ混ぜにして語っており、我ながら信憑性は?であることをお詫びしておく。

話しは飛ぶが、出雲の6世紀の石棺式石室をもつ古墳は、前述の伊賀見1号墳、下の空古墳、丹花庵古墳のみならず魚見塚古墳や東淵寺古墳等が存在する。その6世紀は、継体天皇やその御子の欽明天皇によって、地方支配が進められた時代であった。527年の磐井の乱が平定された後は、各地に王権の直轄地である屯倉(みやけ)が置かれた。

この出雲の石棺式石室は、肥後の様式と似ている。これは磐井の乱後、九州で勢力を伸長した肥後と出雲の交流の証であろう。ヤマトに両者が連携した証であろうか。そのせいもあってか、肥後の古墳の装飾文様と、前述の出雲の石棺文様に共通点が多い。以下、肥後の古墳ではなく、出土埴輪の格子文様を紹介しておく。

(立山山8号墳出土埴輪の斜格子文様・福岡県八女市)

(立山山13号墳出土埴輪の格子文様)

以上、話は飛んだが、上述の魔除け・辟邪の文様について、松本司氏は陰陽道で説明つけられている。はたしてどうか。諸家の見解をしらないので、何とも言い難いが、個人的には古来からのアニミズムの影響も大きいものがあると考えている。特に×印の文様は、今日の東南アジアの少数民族も、辟邪の文様として多用している。これらのアニミズムと道教の関係はどうであろうか。時間を見つけて調べたい事柄である。以上で週1回の5回シリーズを終了する。

<了>