<続き>
展示品をみていると、朝鮮半島との交流は弥生時代などではなく、旧石器時代からと云う。旧石器時代の海退期、半島南部と北九州の間の海峡は狭く、往来は比較的容易であったろうか。半島と列島の旧石器は似ているようだ。
朝鮮半島との関連した話しではないが、北部九州から出土する縄文土器もややデコラティブである。それが弥生期になると、のっぺらぼうというか、面白さがなくなる。人種の違いによるものであろう。
縄文人も丸木舟にて半島と往来していたかと思われる。
<続く>
<続き>
展示品をみていると、朝鮮半島との交流は弥生時代などではなく、旧石器時代からと云う。旧石器時代の海退期、半島南部と北九州の間の海峡は狭く、往来は比較的容易であったろうか。半島と列島の旧石器は似ているようだ。
朝鮮半島との関連した話しではないが、北部九州から出土する縄文土器もややデコラティブである。それが弥生期になると、のっぺらぼうというか、面白さがなくなる。人種の違いによるものであろう。
縄文人も丸木舟にて半島と往来していたかと思われる。
<続く>
過日、佐賀県立名護屋城博物館へ。遠い、唐津市街からも40分程度を要したであろうか。名護屋は城を築くには良好な地形のように目に写った。名護屋城博物館も、断崖の上に位置しているであろうとの景色である。
博物館へのアプローチの右手には、写真の名護屋城の石垣を見ることができる。
御覧のように、博物館の建物は高台に在る。
展示物を観ていると売りは、幾つかありそうだ。秀吉の文禄・慶長の役の関係上、朝鮮半島の品々もそれなりに展示されている。合わせて蒙古襲来と先の朝鮮の役関係資料である。歴史時代の事物についてはあまり興味をもたないが、蒙古襲来と朝鮮の役については、それなりの関心を持っている。その意味で、当該博物館の展示物はよかった。
先ず、エントランス前でトルハルバンが迎えてくれる。エントランスを入ると長柱・チャンスンを見ることができる。
この2点を見るに及び、並みの博物館と異なる印象である。キャップションには結界という表現がないが、集落の入口に設置される事例が多いようだ。また、チャンスン単独ではなく、鳥竿・ソッテと共に鎮座している。古代のチャンスンは、雲南から北タイに分布するアカ族の男女交合像や近江に見るオッタイ・メッタイ(男女の木偶)の如く、男根・女陰をもつ像であったであろう。儒教を受け入れたことから、現在の姿になったかと思われる。
秀吉が名護屋滞在時の建物が、想定復元されている。文治派である三成と武断派である清正・正則との亀裂は、朝鮮の役により修復不可の決定的なものとなった。『関ケ原』の萌芽であった。
李舜臣率いる亀甲船団に苦しめられたが、その模型が展示されている。窓らしい窓はなく、大砲が周囲を囲み、屋根には鉄鋲が並ぶ。これでは日本軍の武士は、飛び移ろうとしても串刺しなるだろう、火矢を浴びせるしかないような気もするが・・・等々、朝鮮の役に関する展示物は後日紹介する。今回はココまで。
<続く>
この時期になると、ChiangmaiNewsには度々北タイの桜開花や満開のニュースが掲載される。先日はチェンマイの奥座敷であるクンチァンキアンの桜情報である。北タイの桜は現地で、ナンパヤースアクローンとかサクラ・ムアタイと呼ぶヒマラヤ桜である。流石に1月末ともなれば見納めとは思うが・・・。
ドイ・ステープ寺院を過ぎて、王室離宮の先を右折するとクンチァンキアンに至る。最近はチェンマイ・コーヒーの産地となり、カフェでのんびりということになる。この時期チェンマイにお越しの日本人観光客の方々、観光疲れを癒すには絶好かと。二マンへーミン通りの中央辺りに待機するシーロ(上掲写真の赤色車体)で行くことが可能です。
<了>
下写真のミャンマー錫鉛釉緑彩塼をネット・オークションで見たのは1か月以上前だったか。落札価格は4万円を超えていたように記憶しているが、どうだったか。
この手の塼は過去に何度か記事にした。このように云う筆者も数多く本歌を見た訳ではないが、塼の裏側が奇麗すぎる点が難点である。このような塼は、寺院の基壇や腰壁、あるいは仏塔(パゴダ)の基壇など建築物を装飾するために用いられた。したがって塼を外す際に下地との間の接着剤の痕跡を残すのが普通である。
過去、福岡市美術館で数点の塼をみた。当時は撮影禁止であったので、自撮り写真はないが、購入した図録から紹介する。
オークション出品作と比較し如何であろうか。上掲出品作と似た感じの塼が過去にも出品されていた。それが下の品である。
下段の緑釉に覆われている枠内には、通常は中世モン(Mon)文字と思われる文字が入るが、上掲写真には明確にみることができない。福岡美術館でみた塼には、明確に文字が刻まれている。この模倣品と思われる塼の背後が以下の写真である。
これもまた、わざとらしく裏面に錫鉛釉の滴りを数カ所にみるが、それは1カ月前にみた冒頭の塼の裏側と同じである。同一人物の手によるものであろうか。
過去、この手の塼でネット・オークション出品作で本歌と思われる品は、1点しかなかった。後はすべて?である。本歌を日本で見る機会はほとんどなく、目を養うのは難しいのでネット・オークション出品の塼は、先ず真贋を疑って欲しいものである。
<了>
<続き>
今回は、武器・武具・馬具類である。先ず湯湧古墳群出土品である。
以下、正籠古墳群出土品である。
1点のみであるが、観音浦古墳群出土の柄頭が下の写真である。
古墳時代後期ともなると、大和政権の威令は全国に行き届き、出土する武器・武具・馬具類は、全国スタンダードになる。地域性は失われ、ある意味では面白くなくなる。今回で、宇美町立歴史民俗資料館の展示品紹介を終える。
<了>