世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

セレンバン州立博物館#1

2018-03-31 09:10:28 | 博物館・マレーシア

過日、『サイバージャヤからセレンバンへ』と題して、セレンバンに在るヌグリ・スンビラン州立博物館へ行ったとの記事をUP Dateしたが、今回から数回に渡り、その展示内容を紹介する。尚、便宜上セレンバン州立博物館と記載する。

場所はマレー半島を縦断する高速を降りてすぐの処であった。博物館本館の建物は屋根の両端が極端に反りあがっている。それは水牛の角をかたどったと云われており、ミナンカバウ族の伝統住居を模したものである。

博物館なので何でもありではあろうが、この屋外展示の蒸気機関には多少なりともびっくりした。1898年製造のようである。

展示物の最初は、ヌグリ・スンビラン州のスルタンと州旗の紹介である。

パネルは読んでいないので、どのように紹介されているかは分からない。

ヌグリ・スンビラン州の地には、巨石文化があったようである。3つの碑文はレプリカである。その上にはパネルで碑文の事どもが説明されていた。それによると・・・、

1467年の紀年銘をもつPengkalan Kempasと呼ぶ巨石の碑文はSultan mansur Shahの時代であった。スンビラン州の歴史時代前期は遅れて開始し、巨石文化や石器時代を経過した。マレー半島では紀元前200年から紀元1000年までの期間が石器時代に属している。巨石碑文をメンヒルと呼ぶが、1982年のメンヒルの調査では青白磁器、清代の陶磁、イスラム陶磁が発掘された。これらのメンヒルは、いずれもヌグリ・スンビラン州内にあるタンピンのPenglalan Kempas、Linggi、Nesan Tinggiとクアラ・ピラークのTerachi渓谷であった。

しかし、メンヒルの内容や建てた目的については、何も説明はなく、不詳である。そのメンヒルが屋外に展示してあったので、それを紹介しておく。

 

                         <続く>

 


サンカンペーン印花双魚文の系譜#4

2018-03-30 07:25:46 | サンカンペーン陶磁

<続き>

前回までのように中国、北タイの魚文様を見てきても、羅列では比較しにくい、そこでこれらを一覧表にした。御覧願いたい。

各位、形状比較で、どのように感じられたであろうか? 北タイでの印花双魚文の初出はパヤオと考えているが、そのパヤオの魚文を見ると、魚文の印象や尻鰭の形状に、やはり龍泉の影響を見ることができる。魚体が背側に反りあがる様は、耀州窯のそれに、腹側が凹み背側に盛り上がる様は、同安窯のそれに似ている。ナーンとサンカンペーンは、パヤオの文様から派生したであろうと考えられる。ここでこれらの窯間の比較要素を抜粋して、一覧表にすると以下となる。

パヤオは鰭の個所別個数では、龍泉の影響を受けたであろう。また印花凹版は耀州の影響が考えられる。サンカンペーンとナーンはこれら中国諸窯というより、パヤオの文様から派生したと考えている。以上、長々と記述したが、北タイの双魚文様は、巷間云われている龍泉の影響のみではなく、耀州や同安等々の間断なき情報や、現物を参考に生み出され、パヤオにて本家を凌ぐバラエティー豊かな文様が生み出されたと考えられる。

 

以下、付録の余談で信憑性については、現段階では裏がとれておらず、まさにお噺の段階である。掲げた盤は、2015年10月3日のバンコク・リバーシティ・オークションハウス(旧名:リバーサイド・オークションハウス)に出品された『スコータイ(16世紀)青磁双魚文盤(出品番号LOT007)』である。

 

事実とすれば、オリーブグリーンと云うより、褐色に近い発色の青磁が、スコータイ窯に存在することも驚きだが、貼花か凹版の印花かは別として、写真のような双魚文が存在することが、大きな驚きである。スコータイのスペシャリスト・K氏にお会いする度に質問しようと思っているが、お会いする度に尋ねるのを失念している。一方、リバーシティー・オークションハウスは、出品前に審査しており、怪しいものはハネられている。そう考えれば信憑性はあると思うが・・・いまだ?である。事実とすれば、モン(MON)族の介在以外何物でもないとの印象を受ける。当件に関してはお噺の段階であり、今後継続して調べる所存である。

 

                         <了>

 


サンカンペーン印花双魚文の系譜#3

2018-03-29 09:02:44 | サンカンペーン陶磁

<続き>

 

写真は杜文著「耀州窯瓷」掲載の、金時代の双魚文陶範である。尻鰭は孤を描き、口は開いている。背鰭2箇所、腹鰭2箇所で先の龍泉窯の貼花文と比較し、鰭の箇所別個数は異なっている。この陶範は凹版で、その特徴は成形すると、浮き上がった文様になる点にある。そこで、中継点であろう安南の印花双魚文であるが、先述のように詳細不詳で、これについて考察できないのは残念である。

いよいよ北タイの双魚印花文である。北タイではサンカンペーン、パヤオ、ナーンで認めることができる。なかでも形状がバラエティー豊かな、パヤオについて検証してみたい。

 

上の写真は『陶磁器・パヤオ』掲載の印花文様である。次にしめすのは・・・、

K氏のコレクションで、双方ともに凹版であり、それは浮き上がっている。この二つは似ているが、尾鰭の形状に若干の違いがある。決定的な違いは、鱗の形状で一方は三日月、一方は丸形である。先にも記した通り、パヤオの魚文形状のバラエティーは豊富であるが、それらを羅列すると冗長になるので、後程一覧表にして表示することとして、サンカンペーンの事例を一例紹介する。

町田市立博物館の褐釉印花双魚文盤で、魚文形状が比較的明確に見取れる。この形状がサンカンペーンの最大特徴で、それは尾鰭の表現の仕方にある。また背鰭は1箇所、腹鰭は2箇所で、形状が三角帆の形もサンカンペーンの特徴である。

ナーンは前期陶磁と後期陶磁が存在する。比較対象は時代的に、前期陶磁であるので、その文様例を掲示する。

背鰭1箇所、腹鰭1箇所はナーンの特徴で、尾鰭がハサミのように直線状に開く特徴もある。

 

 

以上、パヤオ、サンカンペーン、ナーンの陽刻と陰刻の印花魚文の特徴を紹介してきた。このように中国、北タイの魚文様を見てきても、羅列では比較しにくい、そこでこれらを一覧表にした。次回はそれを紹介したい。

                         <続く>

 


サンカンペーン印花双魚文の系譜#2

2018-03-28 07:50:20 | サンカンペーン陶磁

<続き>

Don Hienはオーストラリアの著名な東南アジア陶磁研究家であるが、彼によると大胆にも窯業技術は無視して、東南アジアの横焔式単室窯のルーツは中国に在り、ベトナムを経由して伝播したと結論付けている。奇しくも北タイの印花双魚文の系譜は、この窯様式伝播論に重なっている。

それでは龍泉窯、同安窯、耀州窯の双魚文と北タイ、中でもパヤオとサンカンペーンの文様の関係を探ってみたい。先ず龍泉窯である。

(3番目の写真は2番目の盤の見込みを拡大したものである)

 

3事例の写真を掲載した。いずれも龍泉窯青磁貼花双魚文であるが、よく観察すると文様形状に違いを認めることができ、年代の前後関係か窯元の相違による違いと思われる。但し3事例共に尻鰭は上方に跳ね上がっているが、その形状は孤を描く尻鰭(2事例)に対し、一つの事例は直線状に跳ね上がっている(2番目、3番目写真)。鱗は2事例で丸い形状、1事例が格子状である。また3事例共に背鰭は1箇所、腹鰭は2箇所である。

次は同安窯である。Kriengsak Chaidarung氏は、別に紹介した著書「陶磁器・パヤオ」で、興味深い盤片を紹介しておられる。それは元時代の福建省同安窯にて焼成された、青磁印花双魚文盤片だという。先ず写真を紹介したい。

 

写真の解像度が低く、印花魚文の詳細が分かりにくいが、腹側の鰭が2箇所ある。背側の鰭は残念ながら分かりにくい。このKriengsak Chaidarung氏の記述に、驚きを禁じ得ない。上の写真の説明文を何度も読み返す。下の棒線部分は、タオ・トンアン(窯・同安)と記され、同安窯産となる。

 

この印花双魚文盤片の説明書きを翻訳すると、青磁釉のかかった双魚文盤で、元時代の福建省同安窯にて焼成された。ウィアン・ブア窯群とチェンマイ県のサンカムペーン窯群で作られた皿と非常によく似ている・・・となる。この解説に驚きを禁じ得ない。当初誤記であろうと考えたが、先述のように、これを補完する文献なりHPが存在し、信憑性はそれなりと考えている。

 

                           <続く>

 


<ブログ掲載1000回記念・北タイ陶磁特集>サンカンペーン印花双魚文の系譜#1

2018-03-27 07:49:42 | サンカンペーン陶磁

先に『双魚文考』として似たような記事をUP Dateしており、今回と重なる部分が多々存在することをお許し願いたい。

印花文に限らず鉄絵も含めて、中世の北タイ陶磁に、双魚文が装飾文様として多用されているのは、中国と云うより西方の匂い、印度古来の黄道十二宮の一つである双魚宮や仏足石の双魚相から来るものであろう・・・と。つまりヒンズー教や仏教など西方由来の土壌からくるものとの想いを強く抱いていたが、長年の資料収集や種々の情報から、多少なりとも修正を迫られている。

巷間、サンカンペーン印花双魚文は、龍泉窯の青磁貼花双魚文の影響を受けているとする説が大勢を占める。バンコク大学ランシット・キャンパスに在る東南アジア陶磁館では、写真のように双方の盤を比較展示している。

これを見ていると成程との印象を受けるが、一方で其れほど単純なものでは無かろうとの印象も湧く。

ここで系譜としているが、集めた資料によると辿れるのはやはり中国である。先ず考察は、脇道から進めていくこととする。安南を含む東南アジアの青磁は、龍泉や景徳鎮の影響ばかりではなく、なぜか同安窯の翳を見るとの想い(内容・省略)を持っている。過日、沖縄県今帰仁村教育委員会・宮城弘樹氏の論文を見ていると、所謂同安窯系青磁として、福建省庄辺窯の青磁碗に、花の印花文を見ることができるとの報告である。それは魚文ではないものの、同安窯に印花文が存在する証で、同安窯および同安窯系は、その特徴である櫛歯刻文(猫掻き手)ばかりと思っていたが、そうでもなさそうである。

「中国の陶磁器ゼミナール」とのHPが存在する。その第3回講義「宋・遼・金時代(960~1260)の陶磁器」・同安窯に、“猫掻き手:外面に櫛目による線状文、内面に箆による劃花文の中に櫛による地文を多用。鹿・鳥・双魚などの印花を、見込みに入れることもある”・・・とある。これは出典が曖昧で真偽のほどは確かでないが、HPに掲載されるからには、事実であろうと捉えることにした。してみると当該ブロガーが過去に掲載した記事で、パヤオから出土した同安窯・青磁印花双魚文盤片の信憑性を補完してくれそうである。その掲載書籍「เครื่องถ้วย พะเยา」つまり『陶磁器・パヤオ(タイ語版)』には、盤片の写真と共に、同安窯の盤片と解説されている。この書籍を見たとき、ホンマかいな・・・との想いであったが、宮城弘樹氏・論文とHP「中国の陶磁器ゼミナール」の双方を見ると信憑性はそれなりと認識している・・・とすれば巷間の通説である、龍泉窯の影響のみでは無いことになる。

更に、杜文著「耀州窯瓷」には、金時代の双魚文陶範の写真が掲載されている。面白いことにこの陶範は凹版で、これを用いる印花文様は貼花文の如く、貼り付けたように浮き上がって見える。まさにこの技法を用いた印花文が、先の『陶磁器・パヤオ(タイ語版)』に掲載されている。これを見ると龍泉窯や同安窯系のみならず、耀州窯からの流れも考慮に入れる必要がある。

それでは、これらの印花双魚文の経由地について、見てみることとする。鉄絵魚文や鉄絵双魚文のルーツとしては、安南経由の他に雲南経由についても考えられるが、雲南で印花双魚文が存在したとの報には接していない。では安南に印花双魚文が存在するのであろうか。

写真は町田市立博物館名品図録掲載の青磁蓮花双魚文鉢・14世紀・ベトナムである。2017年8月下旬の『東南アジア陶磁の名品展』で町田市立博物館へ行った際、見られるものと思っていたが、出品されておらず、図録でしか確認のしようがないが、見ると見込みの写真はなく、その一部が写っているのみである。図録解説によると、見込みに描かれた蓮花文と双魚文は、龍泉窯青磁に由来するのであろうが、器形や釉調は龍泉窯のものではなく、ベトナム流にアレンジされたものといえる・・・と解説されている。写真を見ると凸版であるが、文様の詳細は不詳である・・・残念。

                         <続く>