世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

鳥取砂の美術館・南アジア編#7

2019-05-31 14:55:06 | 因伯二州

<再開・続き>

ACアダプター2次側コードの断線で、バッテリーチャージできず当該ブログの更新ができなかった。アマゾンへ5月23日に入金し手元に現物が届いたのは本日(5月31日)で、発送元は中国・深圳であった。マイクロソフトも中国で何もかも中国のようだ。

〇ムガル帝国 皇帝シャー・ジャハーンと王妃の愛の物語

以下、リーフレットより、”ムガル帝国第5代シャー・ジャハーン。『世界の皇帝』を意味する名にふさわしく、豪奢な宮廷文化を開花させムガル朝の黄金時代を築きました。そして、その繁栄の陰には最愛の妻ムムターズ・マハルの存在がありました。彼女はペルシャ系の貴族の血をひいていたこともあり、皇子の皇位継承時も大きな支えとなります。深く愛し合っていた二人は遠征など宮廷外でも行動を共にし、14人もの子に恵まれるほどの仲でした。しかし后妃はデカン遠征中、産褥期に病に倒れ、36歳の若さで先立ってしまいます。悲哀にくれる皇帝は深く愛妃をしのび、彼女の記憶を永遠に留めるため霊廟タージマハルの建造に没頭しました。晩年、皇帝は白く輝く霊廟眺め、愛妃を想いながら生涯を終えます。皇帝と妃の棺は霊廟の中で寄り添うように並べられ、二人の愛は永く語り継がれていきます。”

インドの歴史については、さっぱり無知である。ヒンズー教徒の国に、よくもま~イスラム国家が建国できたものと感心する。

 

<続く>

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#6

2019-05-23 07:04:22 | 因伯二州

<続き>

〇聖廟タージマハル:インド

以下リーフレットより、『インドを代表する世界遺産タージマハル。世界一美しいと評されるこの霊廟は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルを埋葬するために建造したものです。総大理石で造られた美しき白亜の霊廟は、ムガル帝国の繁栄を物語る豪華さと計算し尽くされた左右対称の佇まいが特徴です。イスラムの建築家や世界中の技術者を招聘し、最高級の宝石や材料を用いて22年という歳月をかけて完成しました。インドに古来より伝わるヒンズーと中東より伝わるイスラムの互いの技術が融合して建てられたこのタージマハルは、まさにインド・イスラム文化の象徴です。その誰もが息をのむほどの美しさは、宗教や儀式、時代さえも超えて今なお人々の心を惹きつけています。』・・・と紹介されている。

昨日、マイクロソフト・サーフェース・プロのACアダプターがトラブル。二次側のコードが断線し、バッテリー・チャージできなくなった。アマゾンに手配したが入手まで少し時間かかりそうで、当該ブログを暫し中断したい。

 

<続く>

 

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#5

2019-05-22 09:58:04 | 因伯二州

<続き>

〇古都パタン ダンバール広場:ネパール

(グーグルアースより)

以下、リーフレットには、『かつて王都として栄え、「美の都」とも称されるネパール中部カトマンズ盆地にある小さな街パタン。背景に壮大なヒマラヤ山脈を臨む街の中心部にあるダンバー―ル広場には旧王宮があり、神秘的で細やかなネワール彫刻が施されたヒンズー教、仏教の寺院が今もなお数多く存在しています。ネワール族の敬虔な信者たちが熱心に寺院へ参拝する姿は古都パタンを訪れた観光客をいっそう魅了しています。』とある。

 

<続く>


鳥取砂の美術館・南アジア編#4

2019-05-21 08:49:44 | 因伯二州

<続き>

〇タクツァン僧院とチベット仏教:ブータン

(出典:グーグルアース)

リーフレットによる説明では、『ブータンの国教であるチベット仏教の聖地タクツァン僧院。標高約3000mの断崖絶壁に張り付くように建てられた僧院は1692年に建築され山岳国家ブータンを象徴する光景となっています。

タクツァンは虎の棲み処を意味し、8世紀末に高僧パドマサンバヴァが虎の背に乗って現われ、近くの洞窟で瞑想したことに由来します。国内のみならず世界中から多数の参拝者が訪れる場所です。』・・・とある。

仏教はチベットに至り密教化した。仏教程各地で変質した宗教はないが、日本では葬式仏教と云われるほど、死後の世界にまで影響を及ぼした。釈迦は死後の世界については一言も言及していない。

 

<続く>

 

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#3

2019-05-20 08:45:34 | 因伯二州

<続き>

〇バーミヤンの大仏・アフガン

以下リーフレットより『アフガニスタンのバーミヤンにある世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」。1世紀頃から石窟仏教寺院が作られ始め、5~6世紀頃には高さ55mと38mの2体の大仏を含む多くの巨大仏像が彫られバーミヤンのの仏教文化は繁栄を極めました。「西遊記」でモデルになった玄奘三蔵もかつて巡歴する途中この地を訪れたといわれます。しかし残念なことに2001年に2体の大仏はイスラム教における偶像崇拝にあたるとしてタリバンによって破壊されました。』

釈迦は生前に死後のことは何も説かず、自分の像を作り崇拝せよとは唱えなかった。これらは全て弟子達の仕業である。

<続く>