先日、京都・三条の親族を訪ねて今年3回目の京都へ。運良くか悪くか?・・・山鉾建てが始まり、あちこちで交通規制に出会ってしまった。しかし組み立て中であれ山鉾を見るのは、夏本番の証である。
帰途、継体大王陵である今城塚古墳へ。埴輪祭祀場の複製埴輪群を再確認。
4区と云われている一画の埴輪群で4体の桂甲武人埴輪と多数の馬形埴輪などが並んでいる。まさに倭国の兵馬俑である。
神戸で宿泊後、全国一ガソリン代が安い姫路市夢前町へ、1リットルあたり147円で、我が否かと30円安い。びっくりだ。
<了>
先日、京都・三条の親族を訪ねて今年3回目の京都へ。運良くか悪くか?・・・山鉾建てが始まり、あちこちで交通規制に出会ってしまった。しかし組み立て中であれ山鉾を見るのは、夏本番の証である。
帰途、継体大王陵である今城塚古墳へ。埴輪祭祀場の複製埴輪群を再確認。
4区と云われている一画の埴輪群で4体の桂甲武人埴輪と多数の馬形埴輪などが並んでいる。まさに倭国の兵馬俑である。
神戸で宿泊後、全国一ガソリン代が安い姫路市夢前町へ、1リットルあたり147円で、我が否かと30円安い。びっくりだ。
<了>
10月半ば栂尾・高山寺へ行ってみた。予想はしていたが紅葉には早すぎ、色づきもしていない。高山寺と云えば鳥獣人物戯画絵巻と紅葉ではあるが・・・。
石水院を眺める 紅葉には早かった
過去、京都は西京区に10年住まいしていたが、高山寺は初めてである。周山街道別名鯖街道を北上する。ヘヤーピンカーブの連続である。
高山寺と云えば、後鳥羽上皇を想い出す。上皇は我が島根県の隠岐の島配流中に崩御された。その後鳥羽上皇の建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽院の院宣により華厳宗の復興道場として中興開山したと伝わる。
写真の「日出先照高山之寺(ひいいでまずてらすこうざんのてら)」なる勅額は後鳥羽上皇の宸翰で、石水院の欄間に掲げられている。
石水院エントランス
明恵上人樹上座禅像
余程遊び心がなければ、描かれないであろう。いつの世にも、世の中を明るくする人がいるようだ。
<了>
京都は三井ガーデンホテル京都四条に投宿。レセプション前には水盤アート。チェンマイでのロングステー先のカンタリーヒルズでたびたび見たのが懐かしい。
花が単に並べられているだけなので工夫がほしい。下にカンタリーヒルズの水盤アートの一例を掲げた弊ブログ(ココをクリック)を掲げておく。
<了>
祇園祭は八坂神社の祭り、7月1日から1ヶ月かけて行われる。京都三大祭りのひとつ。平安初期、京都に蔓延した疫病を鎮めるため、卜部日良麿が当時の国の数である66本の矛と神輿3基により牛頭天王を祀って御霊会を行ったのがその起源といわれる。970年から毎年行われ、途中の中断もあるが現在まで続いている。
京都の滞在は7月18-20日の3日間。ちょうど前祭り(さきまつり)の後で、多少なりとも余韻を残していた。
三条通りは通行止めで鉾がたっている。四条通りの御旅所は伝承とおり3基の神輿が鎮座している。
前祭りの期間中に京都へとも思ったが、疫病封じの御霊会でコロナ感染すれば洒落にもならない。と云うことで来年はなんとかコロナ終息して欲しいのだが。
<了>
過日、紫野の和久傳にて食事のため大徳寺界隈へ、せっかく来たのだから大徳寺を参拝。
(和久傳)
龍宝山大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山。本尊は釈迦如来。開山は宗峰妙超(大燈国師)で、正中2年(1325)創立された所謂禅宗寺院。仏殿(本堂)は修復工事中であったが、本尊は参拝できるように修復工事がなされていた。
(仏殿は修復工事中なるも本尊は参拝できた)
上掲2葉の写真は、大徳寺納豆本舗の『大徳寺一久』。大徳寺納豆は御存知の方が少ないと思うが、別途紹介したいと考えている。
<了>