<続き>
今回は展示されている、古墳時代の出土遺物と遺構を紹介する。
法円坂の大型倉庫は、5世紀の古墳時代の建物である。時代も5世紀に入ると構造がしっかりしたものとなり、後世の奈良時代の建物と比較しても何らの遜色もない。
古墳時代の出土遺物や遺構から見えてくるのは、極端な見方とも思うが、それ以降の生活文化は停滞したままかと思えてくる。
<続く>
<続き>
今回は展示されている、古墳時代の出土遺物と遺構を紹介する。
法円坂の大型倉庫は、5世紀の古墳時代の建物である。時代も5世紀に入ると構造がしっかりしたものとなり、後世の奈良時代の建物と比較しても何らの遜色もない。
古墳時代の出土遺物や遺構から見えてくるのは、極端な見方とも思うが、それ以降の生活文化は停滞したままかと思えてくる。
<続く>
大阪歴史博物館は旧・難波宮跡地の一画に建つ。先にも記したが訪れたのは、準構造船の埴輪を見たいがためであった。
先にも触れたが、準構造船には一体成形と二体成形の2種類が存在する。その双方の埴輪が、同一遺跡の長原高廻り2号墳から出土した。いずれも重要文化財に指定されているが、個人的には国宝と考えている。
古い話しで恐縮であるが、上掲パネルにあるように1989年の『なみはや号』の実験航海。この準構造船は長原高廻り2号墳出土の二体成形の船形埴輪を参考に建造された。
実際はもっと大きな排水量をもつ大型船が存在していたと、個人的には想定している。
その船形埴輪の出土地点がパネルにて表示されていた。
<続く>
今回は、縄文土偶と古墳時代の埴輪を紹介する。
以下、展示されている埴輪の数々。
以上、今回で東大阪市立埋蔵文化財センター展示品の紹介を終える。
<了>
東大阪市立郷土博物館の次は、その近くの東大阪市立埋蔵文化財センターである。ここは一般道に面しており、かつ駐車場も備えてあった。
調査センターの裏手には竪穴式住居が想定復元されている。その裏手は小学校か? 生徒たちの元気な声が聞こえて来た。
裏の小学校は縄手小学校と呼ぶようだ。それにしても威勢の良い声だ。
展示物の時代区分がハッキリしない。時代表示のあるものと無いものが混在している。当該ブロガーで区分したものの妥当かどうか?
以上は縄文時代の出土品で以下、弥生時代の出土品と考えている。ここで土面は、祭祀に用いられたとするのが定説である。面を被り祈り舞をしたのであろうか?
銅剣の石製鋳型は展示してあったが、銅鐸のそれは見なかったと思うものの複製鋳型と、それを用いた鋳造の様子が展示されていた。
実際はどのようにして鋳造していたのか。坩堝は土器であったが、青銅溶解温度に耐えたのか・・・等々興味はつきないが。
<続く>