『KAYA インドで出逢った女の子(1)』 印度旅行記-その10

1度目のインドの旅、

バスのルーフに荷物を載せて

僕はラージギールという村(仏陀が8年住んだ岩山、霊鷲山がある)から、
2回バスを乗り継いでブッダガヤーに来た。
ここは仏陀が悟りを啓いた地。瞑想した菩提樹がある。
ラージギールで風邪を引いた僕は、超満員バスに揺られて、
たどり着いたときには疲れきっていた。
バスを降りると宿の客引きたち。
交渉するのもしんどかったから、僕はこの地唯一のホテルの名を口にして、
そこに泊まるんだと言った。
彼らを振り切り、そのホテルの方に歩き始めた。客引きたちは諦めたようだった。
リャージという1人の男を除いては…。
「あなたは泊まれないよ。」

ホテルの門をくぐると彼もついてくることはできない。
ロビーにたどり着く前にボーイが近づいてきた。
「シングルの部屋はありますか?」
「申し訳ありません、満室です。」
徹底的に疲れてしまった。
宿の客引きたちと改めて交渉することを思うとうんざりした。
門のところまで戻ると、さっきの男、リャージがいた。
日本の女性と一緒に。
「断られたでしょ。」
彼女の名前は真理という。28歳のシングルアゲインで6歳になる娘がいた。
娘の名前は草(KAYA)。
KAYAはジャマイカでは神の草・ガンジャ(大麻草)を指す。
そんな意味を含めて娘にKAYAと名づけた人、真理とその娘KAYAに僕は興味を持った。
真理に誘われて僕もリャージの宿に泊まることにした。

翌朝ノックの音で目が覚めると、ドアの外には真理とKAYAだった。
3人でチベット難民キャンプのテント食堂で朝食を摂った。
その後真理は用事でガヤの街へ。

チベタン食堂が並ぶ

僕はKAYAと一緒に菩提樹のある大塔の裏の沐浴場へ。
沐浴場は中央に座禅を組んだ仏陀像のある四角い池になっていて、
たくさんのチベット難民僧が僧衣のまま泳いでいた。
水は緑色で、小さな虫がウジャウジャいたけど、彼らにとっては有難い水なのだ。

池の端に並んで腰を掛けているとKAYAが言う。
「お兄ちゃんも泳ぐ? この水は神様の水なんだよ。」
と。
「こうやって足に水をつけるとね、虫が上がってきて足の裏につくでしょ。
それでね、体中の悪い病気を取ってくれるんだよ。」
「…」
「チベタンみたいに泳ぐんだよ。カヤも毎日泳いでいるんだよ。」
僕には、何かそれは本当のことのように思えた。
僕はKAYAと上半身裸になって池に入った。その緑色の水でうがいをした。
神様の水だから…。

ナンカオボレテイルミタイダ

チベットの少年僧たちと水遊びをした。気持ちよかった。
そして、ブッダガヤーでの日々、僕は別に身体を壊さなかった。
生水や氷の入ったバナナラッシー(バナナヨーグルトジュース)の飲み方や
サトウキビのかじり方もKAYAから教えてもらった。
娘にこういうやり方で教育できる母親は素敵だと思う。
「汚いから泳いじゃ駄目」とか
「サトウキビや生水なんて飲んだらお腹を壊すじゃないの!」とか…。
禁止、禁止の教育ではなく、
真理は娘の価値観や世界観、感性を大切にしてあげていたのだ。

昼間、真理はガヤの駅に夜行列車の予約に行っていた。
3日後の”10DOON-EXPRESS”は僕も予約を取っていた列車だった。
この時から真理とKAYAがバンコクに発つまでの10日間、僕らは一緒に過ごすことになった。


KAYA…大麻草
精神展開薬(向精神薬)に分類され、
麻薬(阿片、覚せい剤、モルヒネ、ヘロインなど)ではありません。
中毒性、依存性、ステップストーン(踏み石)性もなく、
WHO(世界保健機構)でも人体に対する害を認めていません。
インド、エジプトなどガンジャ文化(大麻文化)のある国々は
精神的に進んでいたし、観念的、哲学的です。
ジャマイカのラスタファリアンもインド人季節労働者が持ち込んだガンジャで、
精神的に「西洋文明を脱し、アフリカへ帰る」という思想の確信を得ました(ジャマイカ旅行記)。
日本人に誤解のある大麻(多くの人が麻薬だと思っている)を僕は否定しません。
ただ、日本やアメリカなどでそれらを試みるのは否定的です。
精神的に豊かでないそれらの国々で試みるのは、単なる逃避でしかないと思う。
あるいは単なるカッコつけ。
しかも、法律で禁止されているわけだし…(法律自体矛盾があるけどね)。
しかし、日本はその違いなどを含め、客観的な教育をしなくてはならないと思う。
何も知らない若者は、無害なはずの(少なくとも煙草や酒や握りこぶしより)大麻から
麻薬に進んでしまい、取り返しがつかなくなる。
ある先進国では、個人が精神的に深い思考をしたいという目的で大麻を
栽培することを個人の責任で認めている。
若者が、興味本位やカッコつけで大麻・マリファナを試すことに深い憂慮を感じる。
(wrote in 1990)


FEEL KAYA Talkin'(↓ふぉあぁさん方式で読んでください)
(僕のKAYA体験をこちらに)
ここは2006年に書いています。1987年頃の経験を日記から探り出して書いています。
"KAYA talking"、そう、ガンジャはインドやジャマイカで僕に語りかけてくれたんだ。
最初のガンジャは1987年、ブッダガヤーだった。
公園でリラックスをして試したつもりだった。
しかし、僕はグルグルと奈落に落ちていくような意識を持った。
僕に準備がなかったのだ。僕は常識に縛られていた。
吐いた。
次に試したのは、安食堂で真理がそばにいる状況。彼女に僕の全てを委ねた。
つまり安心をしていた。
最初にテーブルが紫色になった。次にテーブルの足がなくなって宙に浮いた。
その時、僕が思ったこと…。
 僕は、今までこのテーブルを茶色いと思っていた。
 だけど、今この瞬間には紫だ。
 僕がこのテーブルを紫だと思えば紫になるんだ。
 テーブルには足があるというのが常識、だけど、足がないというテーブルもある。
 足がない、そういうテーブル。
 僕が見てきた世界は僕が創ってきた世界にしか過ぎないんだ。
 僕は自由に世界を感じることができる。
 僕は世界をしっかり見なくちゃいけない。
 常識は茶色いテーブルしか僕にみせないんだ。
そんなことを考えた。
そして、そのときに何故ファーストトリップで吐いたかも分った。
自由になりたい僕と常識が綱引きをしていた。初戦は常識が勝ったわけだ。
常識を失うことを恐れた僕は常識に加担した。
そして吐いた。
2度目は信頼できる人がそばにいた。
僕は「何が本当のことなのだろう」と求めていた。
ガンジャは僕に「直感で感じること」を教えてくれた。
3度目は1988年のジャマイカ、ラスタマン・チェスターに巻いてもらったガンジャ。
その後、僕は夜のダウンタウンに繰り出した。
そしてパン屋で明日の朝食を買う。
パン屋で僕のパンを待っていると黒人たちが買い物に来る。
ここで僕は幻覚を見る。
 店に入ってくる客が白人なんだ。次の人も白人。
 こんな夜中のダウンタウン、白人なんて来るはずない。
 僕は幻覚を見ている。そして次も白人…。
 僕は次の瞬間、理解をした。
 僕は黒人を味方し、白人を理解しようとしなかった。
 黒人は歴史の被害者で…。
 店に来ているのは間違いなく黒人なのだろう、
 だけどガンジャの入った僕には白人に見える。
 そう、僕は勝手に彼らを外見で判断しているだけ。
 僕が世界を勝手に規定している、そう理解した。
 白人と黒人ではなく、一人ひとりに僕は出会わなくてはいけない。
ガンジャは僕の意識を広げてくれた。僕の潜在意識や無意識の意識を顕在化した。
幻覚を見るためでも興味本位でもなく、
「僕は世界をどう見たらいいのか」という答えを得るために試した。
でも、僕はそれ以上試そうとは思わなかった。
だってインドやジャマイカがそのまま覚醒への扉だったのだから。
※日本でやっちゃ駄目だよ。マジで逃避だからね。弱い奴は日本でやる。

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