『羊をめぐる冒険(下)』を読みました。現代の生み出した「巨大な力」が私たち人類を取り込もうとしています。その力と抵抗する小説だと私は読みました。
現代は、(もしかしたら現代でなくともそうなのかもしれませんが)「巨大な力」が君臨しています。その「巨大な力」はある時は国家であったり、ある時は企業であったり、ある時はイデオロギーであったりします。
アメリカや中国、ロシアなどは巨大な力を持ち、世界を支配しようとしています。グーグルやAmazon、マイクロソフトは情報を支配し、その巨大な力に抵抗するものはいません。資本主義や共産主義、あるいは民主主義は人々を魅了し、支配を続けます。
人々は「巨大な力」の胡散臭さを感じながら、しかしそれに抵抗すればするほど自分が損をする気分になります。だから抵抗する気力は消えていき、いつの間にか取り込まれていきます。
そんな「巨大な力」に「鼠」は命をかけて戦いをいどみます。しかしその命のかけ方は、静かに進んでいきます。それが巨大な力に対する正しい抵抗だからです。
「鼠」は「巨大な力」の象徴とともに命を落とします。「鼠」にとって必要だったのは、その戦いを記録する人でした。それが「僕」です。
「僕」は自分の無力さに絶望しながら、それでも記録を残します。それが「僕」の戦いです。ものを書くことはそういう命がけの戦いなのです。
私は村上春樹の熱心な読者ではないので、他の人の読み方はしりません。しかし読書に「正しい」読みはありません。一人一人が各自の読み方をしながらそれが交差する世界が読書の世界です。私は今回は以上のような読み方をしました。次にどういう読み方をしているかが楽しみになる本でした。
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