とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

舞台『正しいオトナたち』を見ました

2019-12-26 08:04:42 | 演劇
 東京グローブ座で『正しいオトナたち』を見ました。

 傍で見ていればケンカこそおもしろいものはない。大人のケンカなんて最高の娯楽作品だ。そんな大人のケンカを描くコメディ作品である。肩のこらない、面白い作品だった。

 作 ヤスミナ・レザ
 翻訳 岩切正一郎
 演出 上村聡史
 出演 真矢ミキ 岡本健一 中嶋朋子 近藤芳正

 大人は建前で生きているが建前だけで生きていると息苦しい。そんな大人でもついつい素顔が出てしまうときがある。それがケンカにつながり感情むき出しになり、本音が出てくる。本音の垂れ流しは醜いものだが、実は人間らしい。そういう関係ができたほうが本当の付き合いができる。そういう意味では「正しい大人」なのだろう。

 人間の本質が見えてくるような作品だった。

 東京グローブ座に行ったのは20年ぶり以上ではないでしょうか。本当に久しぶりでした。おもしろい舞台でした。ただ、私の隣の席の人が最初から寝ていて、その寝息がうるさくて困りました。その人はカーテンコールの時は熱狂的な拍手をしていました。少し離れた席からはクライマックスのシーンで大きないびきが聞こえてきました。彼らも『正しい大人たち』のひとりなのかもしれません。
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映画『テルアビブ・オン・ファイア』を見ました。

2019-12-25 17:11:00 | 映画
 イスラエルとPLOの紛争時代の、緊張しながらも意外に人々はこういうふうに明るかったのではないかと思わせるコメディ映画だ。軽くて楽しめる作品だった。

 以下はホームページよりの引用である。

 パレスチナの人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」の制作現場で言語指導として働くパレスチナ人青年のサラームは、エルサレムから撮影所に通うため、毎日面倒な検問所を通らなくてはならなかった。ある日、サラームは検問所のイスラエル軍司令官アッシに呼び止められた際、咄嗟にドラマの脚本家だと嘘をついてしまう。それを境にアッシはドラマの熱烈なファンである妻に自慢するため、毎日サラームを呼び止め、脚本に強引にアイデアを出し始める。困りながらも、アッシのアイデアが採用されたことで、偶然にも脚本家に出世することになったサラーム。しかし、ドラマが終盤に近付くと、結末の脚本をめぐって、アッシ(イスラエル)と制作陣(パレスチナ)の間で板挟みに。窮地に立たされサラームが最後に振り絞った“笑撃”のエンディングとは──。
 
 昔風のいい加減なテレビドラマにみんなが注目ししている姿は昔の日本を思い出される。そういえば日本の昔もいい加減だったなあと、なつかしくなる。その時代を風刺した作品であるからだれもが楽しむことができる。肩のこらない娯楽作品である。

 戦争は悲惨であるが、戦闘状態でないときは意外にのんびりしている。そんな描き方に変にリアリティを感じる。
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「子どもの体力低下はスマホのせい」という分析をするスポーツ庁の論理力のなさは、スマホの使い過ぎだからなんだろうか。

2019-12-24 17:38:37 | 社会
 子どもの体力テストの結果が今年急激に低下した。その原因のひとつとして、スポーツ庁は「スマホ」の使い過ぎをあげている。

 以下はニュースの引用である。

 スポーツ庁は23日、小学5年と中学2年の2019年度「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(全国体力テスト)の結果を公表した。実施種目の成績を点数化した「体力合計点」は08年度の調査開始以降、女子が上昇傾向、男子も横ばい以上で推移してきたが、いずれも大幅に低下した。男子が顕著で、小5男子は過去最低、中2男子も過去5年で最低となった。
 スポーツ庁は背景として、(1)授業以外の運動時間減(2)スマートフォンなどの使用時間増(3)小中男女の肥満増―などがあると指摘。運動習慣の確立とともに、運動時間を延ばす施策を推進する。

 スマホのせいで体力が落ちるという発想は世間的に受け入れやすいものである。しかし、今回の分析の結果としての体力低下の原因とするのはあまりにもおかしい。なぜなら、もしスマホのせいならば、去年まで横ばいや上昇傾向であったことが説明がつかなくなるからだ。スマホが原因ならば今年になってからいきなり子供たちがスマホを使いだしたということになろう。そんなことはないのは明らかだ。

 こういう短絡的な分析をする役所があっていいのだろうか。スポーツ庁の職員こそスマホの使い過ぎで論理力が低下しているのではなかろうか。

 しかもその無理な分析をそのまま流すマスコミも愚かである。マスコミは論理の力で生きている。それなのにマスコミがこんな愚かな分析に対して、無批判に記事を垂れ流している。これは近年のマスコミの劣化を示すものであろう。

 大げさにさわぐような話題ではないかもしれないが、こういうところにも近年の日本の行政とマスコミの劣化があらわれている。

 私も子どものスマホの使い過ぎはよくはないと直感的に思っている。しかしその分析はもっと慎重な調査と分析によるものでなくてはならない。

 
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舞台『月の獣』を見ました

2019-12-23 18:57:36 | 演劇
 国も家族も失った男が家族を求めるが、それが困難の始まりだった。男の苦悩と再生を描く作品。男の苦しめたものが明らかになるにしたがって、物語は立ち上がり、男の再生に感動する。名作である。

脚本:リチャード・カリノスキー
演出:栗山民也
出演:眞島秀和、岸井ゆきの、久保酎吉、升水柚希

 アラムはアルメニア人。迫害によりアメリカに亡命してくる。その舞台はミルウォーキーの男の住処。アラムは、写真だけで選んだ同じアルメニア人の孤児の少女・セタを妻として自分の元に呼び寄せる。二人の間に新しい家族ができなかった。ある日、セタは孤児の少年を家に招く。アラムはそれに激怒するが、少年との出会いにより、少しずつ変わっていく。やがて彼が大切に飾る穴の開いた家族写真に対する思いが明らかになっていく。

 私が同日に見た『タージマハルの衛兵』は「個」と「全体」をテーマとしたシリーズの作品だった。『月の獣』を見て、「個」と「全」の間には「家」があるということに気づかされた。「個」にとって「全体」、合わなければ敵になる。しかし「個」にとって「家」は合わなくとも決して敵にはならない。苦しくなるだけだ。この苦しみは普遍的なものである。「家族」というテーマが迫ってくる。

 私も自分の生き方について振り返る時間が増えてきた。自分にとって大切にすべきものは何か。そして今からでもその大切なものを得られるような生き方ができないものか。それを語りかけてくれるようなすばらしい舞台だった。

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新国立劇場で『タージマハルの衛兵』を見ました。

2019-12-22 18:53:17 | 演劇
 横暴な権力が人々を苦しめる状況が描かれる。これは誇張した形で描かれるのではあるが、社会の状況を考えると誇張とは思えない。権力に追い詰められる人民の苦悩がリアルに伝わってくる。

 作 ラジヴ・ジョセフ
 翻訳 小田島創志
 演出 小川絵梨子
 キャスト 成河 亀田佳明

 舞台はタージマハル建設中のムガル帝国。登場人物はフマーユーンとバーブルの2人。タージマハルの建設現場で夜通し警備をするのだが、タージマハルの完成したとき、その建築責任者が褒美として、働いた2万人がそのタージマハルを見ることを認めてもらうことを願いでる。それに起こった皇帝は2万人の手を切る命令を出す。ふなゆーんとバーブルが手を切り落とす役目を与えられる。それをやり終えた二人は精神的に壊れていく。そしてさらに悲劇は連鎖していく。

 この作品は「ことぜん」シリーズの第三弾である。「ことぜん」とは「個人」と「全体」の関係を描く作品を連続上演する企画の名称だ。

 現在の日本の状況を見ると、国家のために「個」を見失っている人が多い。それが本当に国家のためならばわからなくもない。しかし実際には一部の権力者のわがままのためなのだ。人間は自分のやっていることに正義を求める。だから自分のやっていることが客観的に見れば悪でも、自分で理屈を捻じ曲げて正義にしてしまう。自分は正しいことをしていると思いこんでいる。今、安倍政権に忖度している官僚はみんなそうなのだろう。こうなってしまえば悪の連鎖は終わることはない。

 健全なる「個」を取り戻すためには、健全なる「全体」を築く必要がある。それは簡単なことではない。しかし諦めてはならない。やはり大切なのは健全な「個」を育てる努力である。正義を見つめる「個」の努力である。
深く考えさせられる作品であった。
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