とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

安倍晋三氏の場当たり的な対応にうんざりだ

2020-06-28 08:07:04 | 社会
 安倍晋三氏の新型コロナウィルスの対応は場当たり的だった。今回、その場当たり的な対応の責任を専門家会議のせいにした。これも最悪な場当たり的な対応である。

 安倍晋三氏は、東京オリンピックの延期決定までは新型コロナウィルスに対して大きく騒ぎ立てることはなかった。騒ぎ立てることで東京オリンピックが中止になることを防ごうとしたのである。

 東京オリンピックの延期が決定すると、いきなり学校を休校にした。唐突感がいなめなかった。確かに学校は多くの人間が集まる場所である。しかし学校よりももっとクラスターの発生しやすい場所ははるかに多くある。学校だけをターゲットにしたような対策は、場当たり的である。「やってる感」を演出しただけの対応であった。

 案の上その後、感染は広まり緊急事態宣言の発動となった。

 そして「アベノマスク」の登場である。安倍総理の場当たり的な対応の象徴のような政策だ。無能ぶりを日本国中に認識させた。

 さて、緊急事態宣言により日本の感染は抑えることができた。安倍晋三氏は記者会見を繰り返し、自分の手柄をアピールし続けた。しかし感染を抑えることができたのは安倍晋三氏の手柄ではないということは、ほとんどの国民は認識していた。日本国民が従順に対応し、さらには東アジアの国では感染が広がりにくかったという「ファクターX」もあったからである。

 安倍晋三氏の関心はもう経済に移ってしまった。もはや何があろうと後戻りすることは考えようとしない。もちろんこれは経済界の要請もあるだろうし、オリンピックで損失することが明らかな電通からの要請もあるのだろう。それ以上に国民がこれ以上の自粛に耐え切れなくなっているのだ。安倍晋三氏の判断はある意味正しい。

 しかしそうなると学校の休校要請や緊急事態宣言との整合性がとれなくなってくる。これまでの対応と、これからの対応が違いすぎるのだ。そこで、これまでの対応は専門家会議のせいだとでも言いたいように、専門家会議を廃止する。これもまた場当たり的である。これまで利用するだけ利用して、いらなくなれば切り捨てる。安倍晋三という人間の本質がここにある。

 自粛解消後しばらくたち、また首都圏で感染がひろがりつつある。その対応が以前と違いすぎる。この対応も場当たり的である。こういうときこそ、記者会見を開いて対応の違いの理由を丁寧に説明すべきなのだ。しかし安倍晋三氏は国会が終わってから隠れてしまった。以前なら外遊していればよかったのだが、外遊もできない。ただ「隠れている」のだ。

 自分だけ。安倍晋三氏は「自分だけ」なのだ。
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