まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

母からのメール

2011-05-29 23:36:41 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は親戚一同が集まって父の法事を行いました。
小野原家の墓は九州の佐賀県にあるため、
そう簡単にお墓参りに行くことができません。
年忌法要と呼ばれる三回忌、七回忌、十三回忌など節目の年に、
家族のなかの少数精鋭を募って九州まで出かけ、墓参り&法事をするという感じです。
昨年は十七回忌だったので 「ルーツへの旅」 が決行されたわけですが、
そうそう毎年九州旅行をするわけにもいきませんので、
今年は東京での開催でした。
法事といってもお坊さんを頼んでお経をあげてもらったりするわけでもなく、
ただ親戚一同がお店に集まって大宴会を繰り広げるだけです。

この法事を開催するのはたいてい築地明石町にある 「鯛や」 という日本料理屋さんです。
地下鉄だと新富町の駅が近いですが、明石町とか新富町ってふだんはあまり出かけないところです。
なんでそんなところのお店で開催するかというと、
こちらのオーナーは、その昔うちの母が銀座で小料理屋をやっていたときに、
ずっと板前さんとして働いていてくださった方なのです。
私も学生時代、母の店に皿洗いのバイトに行ったりしていましたが、
狭い調理場の片隅でお皿を洗いながら、
料理の極意を盗むほどにはいたりませんでしたが、
ちらっと横目で盛りつけのテクニックなどは見せていただいたりしていました。
母の店がつぶれたあと、しばらしてその板前さんがこちらに店を構えられたのです。



看板はいかにもこじゃれた日本料理屋ですが、
店内に入ってみるとたぶん誰もが驚くでしょう。
こんな感じなのです。





おわかりになるでしょうか。
ミシュランのグッズやポスターなどが所狭しと陳列されています。
オーナーがクルマ好きということもあって、
タイヤメーカーのミシュランとお店の名前を掛け合わせたダジャレになっているわけです。
こちらのお店を借り切って小野原家の法事は決行されました。
とっても美味しい料理が次から次へと運ばれてきます。
フグの唐揚げまで出ましたが、フグを食べるのなんていつ以来でしょう。
そしてシメはこちらの名物、鯛めしです。



絶妙の出汁加減、そして鍋いっぱいに飾り付けられた鯛。
至福のひとときです。
何杯も何杯もおかわりしてしまいました。
そういえば、こちらの 「鯛や」 さんは、
「出没!アド街ック天国」 の 「築地明石町」 の回で取り上げられたそうです。
その後やはりお客さんが増えてしまったそうなので、
行ってみたいという場合にはあらかじめ電話予約しておくほうがいいでしょう。

さて、今回は別にこの 「鯛や」 さんのことを宣伝したかったわけではありません。
「鯛や」 さんでみんなで現地集合するにあたって、
前日に母にちょっと問い合わせのメールを出しました。
去年は十七回忌のためこちらでの集まりはありませんでしたし、
なんせ明石町やら新富町というのはアウェイですから、
2年ぶりとなってしまうとどうやって行ったらいいのか覚束ないものがあります。
というか地下鉄の新富町駅で下りればよいということすら思い出せなかったのです。
私はその手のお店情報はケータイに登録するようにしているのですが、
この前ケータイが死んでしまったときに 「鯛や」 さんのデータも根こそぎ失ってしまっていました。
というわけで、お店に行くにはどこの駅で下りればいいのか、
そして、念のためお店の電話番号も教えてほしいといって母にメールしていたわけです。
その驚愕の返信メールがこちらです。



ワン トゥー スリー



「〇さーさんごよんよんーごろくなないち。中央くー明石町十二ー十六メゾンドールニュー明石」



これが全文です。
なんじゃ、こりゃあ?
ゼロだけは変換できたみたいだけど、それも漢数字のゼロだし、
あとの数字は全部ひらがなかいっ
しかも長音記号がミョーに多用されているし…。
「よんー」 と伸ばさなきゃいけないんですか?
住所のほうは比較的それらしいですが、やはり 「中央くー」 と伸ばさなきゃいけないんですか?
昨年の11月に 「母からの面白すぎるメール」 というサイトをご紹介いたしました。
というか、ブログの師匠が私よりも先にそれをご紹介されていました。
あのときはただ他人事みたいに爆笑していましたが、
うちの母も同類だったんですね。
とりあえず 「鯛や」 に着いて一番最初にやったのは、
ケータイでどうやって数字を入力したらいいかの講習会でしたが、
まああれで使いこなせるようになるとはとうてい思えません。
電話番号その他、数字関係で聞きたいことがあるときには絶対に妹か弟に聞くようにしよう!
と固く心に誓った父の命日でした。


P.S.
ちなみに私の父の祥月命日は6月28日なのでまだだいぶ先です。
でも、法事法要は生き残った私たちの都合に合わせて、今回のように1ヶ月も前にやったり、
あるいは九州に行くときなんて、陶器市にあわせてゴールデンウィークにやってしまったり、
それはもう自由気ままに、生きている人間の都合に合わせてテキトーにやらせていただいています。
おそらく父は草葉の陰で、お前らオレのことなんてどうでもいいんだろう、
ただ飲む口実にオレを使っているだけなんだろうとグチをたれていることと思います。
でもお父さん、長い付き合いなんだから、ぼくたちがそういう人間だってことは、
生きている頃から骨身に沁みてわかっていたはずですよね。
今回もいちおう遺影はお店に置かせてもらいましたので、
酔っぱらいの大放談会にあなたもきっと同席されていたことと信じております。