まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学の先生は哲学者なんですか?

2009-04-22 17:24:08 | 哲学・倫理学ファック
これはイタイ質問ですね。
こんなふうに聞かれるとちょっと答えにつまってしまうところがあります。
昨年の10月14日付でこの 「哲学・倫理学ファック」 のカテゴリーの中に、
「Q.倫理学者にはどうやったらなれますか?」 という質問への回答を書きました。
できればその記事も読んでみてほしいのですが、
あのときはあまり意識せずに、「倫理学者」 と 「倫理学研究者」 を
ほぼ同じ意味で使ってお答えすることができました。
今回の質問を 「Q.倫理学の先生は倫理学者なんですか?」 と言い換えてみると、
これには躊躇なく、「A.はい、その通りです」 と答えることができます。
ところが今回のように 「Q.哲学の先生は哲学者なんですか?」 と聞かれてしまうと、
すんなりと 「A.はい、その通りです」 とは答えられなくなってしまうのです
たぶん「哲学者」という言葉が他の 「○○学者」 とは違う
ある重みをもっているからなのだと思います。

私は 「哲学研究者」 であり、「哲学の先生」 でもあります。
(なお、哲学と倫理学の関係については
 「Q.哲学と倫理学ってどう違うんですか?」 をお読みください)
しかし 「哲学者」 なのでしょうか?
人に自己紹介するとき、「初めまして、哲学者の小野原雅夫です」 だなんて、
とてもじゃないけど、こっぱずかしくて言うことはできません。
この点、他の学問と哲学とではだいぶん事情が違うように思います。
経済学の研究をしていれば誰だって経済学者だし、
生物について研究していれば生物学者です。
大学教員になりたてだろうが、大学院生だろうが
「○○学者」 と名乗って問題ないでしょう。
(哲学以外の学問を研究されている皆さん、いかがですか?)
だから 「倫理学者」 だったら私もあまり抵抗なく名乗れそうなのです。
だけど 「哲学者」 だけはなぜか重みが違うんだよなあ。

なぜ、そう軽々しく 「哲学者」 と名乗れないのでしょうか?
うーん、おそらく、独自の哲学体系を築き上げて、
「○○哲学」 と呼べるようなものを打ち立てている人のみが 「哲学者」 の名にふさわしい、
というような考えが頭のどこかにあるからではないでしょうか。
ソクラテスとかカントとかのレベルに到達して、
「倫理」 の教科書に載ってしまうくらいでないと、
なかなか 「哲学者」 とは呼んでもらえない、というか、
自ら 「哲学者」 と名乗ることはできない、ということではないでしょうか。
現存している人の中でそのレベルに達している人って、ほんのわずかだよなあ。
その意味じゃぼくなんかは一生 「哲学研究者」 で、
「哲学者」 を名乗れるようになる日はこないんじゃないかなあ。
というわけで今回のお答えは次のようになります。

A.君たちの哲学の先生は哲学者ではなく、哲学研究者です。

こう答えたからといって、さして屈辱的であるわけではないですね。
言ってみれば、野球をやっているからといって全員が
「ミスター・ベースボール」 と名乗れるわけではないし、
ジャイアンツに入団したからといって
全員が 「ミスター・ジャイアンツ」 と呼んでもらえるわけではないけれど、
もともとそんなこと求めてなくて、
「野球の選手」 とか 「ジャイアンツの選手」 と呼んでもらえれば、
それで十分満足だ、というのと似ているのではないでしょうか。
それぐらい 「哲学者」 という言葉には重みがあるというお話でした。
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