まさおさまの 何でも倫理学

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講義科目はなぜ半期2単位なのか?

2011-03-07 10:00:35 | 教育のエチカ
先日、講義型授業のほうが演習形式の授業よりも単位数が倍に設定されていて不思議だ、
という話をさせていただきました。
これは大昔のヨーロッパ型の講義の伝統を踏まえたものだと聞いたことがあります。
「講義」 というのはドイツ語で Vorlesung 、
直訳すると 「前で読み上げる」 という意味になります。
かつての大学での講義型授業と言えば、
教授たちがいずれ研究書として出版しようと思っている高度な内容の原稿を持ってきて、
学生たちの前で読み上げていくというスタイルだったのだそうです。
コピー機も印刷機もない時代の話ですから、当然プリントを配ってもらえるわけではありませんし、
板書すら何もせず、難しい話をわかりやすく言い換えてもらえるわけでもなく、
ただひたすら専門的な研究内容をダーッと読み上げられるだけですから、
学生たちはその場で理解なんてできません。
ただもう必死になって、自分なりの速記記号みたいなものを駆使して先生の話を口述筆記していきます。
そして、家に帰ってそのノート (というよりも書きなぐったメモみたいなもの) とにらめっこしながら、
教授の原稿をそのまま再現しなければならないのです。
その再現したものが正式な学生のノートとなります。
そして、そのノートを何度も読み返して教授の話を理解できたら単位がもらえるのです。
現代的な感覚で言うならば、教授が書いた教科書がどこにも売られておらず、
教授だけが持っていて、講義時間中にそれを読み上げ、学生は必死でそのメモを取り、
家に帰ってから自筆で教科書を完成させ、それを何度も読んで理解する、という感じです。
これは当然、講義時間よりも自習時間のほうが長くなるに決まっていますね。
講義時間の2倍の自習時間が必要となるというのは当然というか、むしろ短いくらいです。
それに比べて演習形式の授業というのは、授業時間中に質問されてそれに答えればいいわけですから、
多少予習とかをしておかなければならないとしても、
講義型授業に比べて自習時間なんてそれほど必要ないわけです。
こういう伝統を引き継いでいるから、
講義型授業は演習形式の授業よりも単位数が多く設定されていたわけです。

印刷技術が発達して、みんなが教科書をあらかじめ買っておいたり、
プリントをその場で配布してもらえるようになったり、
また教授方法も発達して、板書を用いたり、わかりやすく説明したり、
視覚教材やパワーポイントまで使われるようになって、
「講義」 はもはや Vorlesung ではなくなりました。
そうなると学生にとって講義型授業は、
それほど時間をかける必要のない楽勝科目になってしまったのですが、
単位数はずっと長い間、昔と同じに設定されたままでした。
日本ではほんの16年前、大学設置基準の大綱化というのが行われ、
単位数は各大学で自由に設定していいようになりました。
しかし、このとき講義科目の単位数を減らすという方向で改革した大学は皆無で、
せいぜい、演習形式の授業の単位数を倍に増やして講義科目と同じにするように改めた、
というところがほとんどでした。
したがって今でも、講義科目は Vorlesung だった頃と同じだけ、
自習に時間をかけなければならないという規定になっているのです。

Vorlesung、罪な伝統ですね。
いや、大学生にとっては Vorlesung さまさまと言ったほうがいいのかな。
少なくとも私が大学生だった頃までは、ただ授業に出て話を聞いて (場合によっては出席しなくとも)、
学期末にチャチャッと勉強してテストを受ければ半期2単位、通年で4単位ももらえたわけですから、
「講義科目万歳!」 という感じでした。
そうやって、4年間何も勉強せず、
バイトと部活だけ頑張って卒業していく大卒生が量産されていたのです。
まあ、大学は何をやっているんだと非難されてもしょうがない状況ですね。
文句の鉾先は文部科学省に向けられますので、
文科省としては各大学に対して 「単位を実質化せよ」 という圧力をかけざるをえなかったわけです。

私が考えるに、単位を実質化するためには講義科目の単位数を半減するべきだったろうと思います。
現在の半分の半期1単位 (通年なら2単位) にしたとしても、45時間の学修が必要ですので、
30時間分の授業のほかに15時間の自習をしなくてはなりません。
毎週1時間ずつの予習復習が必要となるわけです。
講義科目でこれだけの自習をさせるだけでもけっこうたいへんなことですから、
半期1単位というのはいい線だったんじゃないかなあと思うのですが、
ただし、これをしてしまうと大学のカリキュラムは崩壊してしまいます。
単位が半減してしまうのですから、学生はこれまでの倍くらいの授業を取らなくてはならないのです。
そのためには授業科目数を倍近く用意してあげなければならない、ということになります。
それに対応できるくらい教員スタッフを増やせばいいんだと私は思いますが、
今のご時世、そんなことは夢のまた夢ですね。
というわけでけっきょく、単位数は Vorlesung の頃と同じまま、
それに見合っただけの自習をさせる工夫を各教員がしなければならない、ということになるわけです。
教員にとっても学生にとっても Vorlesung の桎梏が重くのしかかってくるのですね。
どうやってこの難問をクリアしていったらいいか、引き続き考えていきたいと思います。


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