まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

世界は変わる!(その1)

2014-03-19 17:41:27 | グローバル・エシックス
東日本大震災ならびに福島第一原発事故から3年。
一時は日本の首相が 「脱原発」 を唱えたこともありましたが、
その後はすっかり 「再稼働」 どころか 「増設」 みたいな話に舞い戻り、
あんな大きな出来事があったのに、世界はまったく変わろうとしないのかと、
絶望に囚われてしまうことが最近よくあります。
しかし、ゆっくりとではあれやはり世界は変わっていっているのです。
3年ぐらいのスパンではその変化は全然感じ取れないかもしれませんが、
これが10年、20年ぐらいの幅を取って見てみると、
けっこう世の中って変わっていくんだなあということがわかります。
100年、200年なんていう人間の一生を越えるような時間を見通さなくてもいいんです。
本当に10年とか20年ぐらいのスパンで世界って変わっていってるんです。
希望を失わずに日々の地道な努力を続けていきたいと思います。
今回新たに、どれだけ世界が変わってきたかを確認するシリーズを立ち上げました。
名づけて 「世界は変わる!」 シリーズです。
こんなにも世界は変わったんだということを確かめて、
未来への希望につなげたいと思います。

私はこの3月で福島大学に赴任して丸20年になります。
私が初めて福島に来たときと現在を比べると、
いろんな面で本当にガラッと変わったよなあと思うのですが、
第1回目の今日はタバコの問題を取り上げたいと思います。

ちょうど今日、教員会議が開かれていて思い出したのですが、
20年前初めて福島大学に着任したとき、
教員会議 (当時は教授会と呼ばれていました) が開催される大会議室のテーブルには、
すべて灰皿が置かれていました。
会議中の喫煙が認められていたのです。
認められているというよりも、日本社会は基本的にどこでも喫煙可能で、
「禁煙」 と定められている場所にかぎり、喫煙が禁じられていたのです。
どこでも喫煙可能なわけですから、どこでもタバコが吸えるような装備が調っていました。
大会議室もそのご多分に漏れず、したがって会議中は室内に煙が充満していました。
20年前にはその状態に異議を唱える人も出始めていましたが、
まだまったくの少数派で、喫煙天国の状況を変えられるほどの力をもっていませんでした。

当時はもう東北新幹線が開通していて、単身赴任の私は週末ごとに新幹線を利用していましたが、
新幹線も基本的には喫煙可能で、車両の座席には灰皿が付いていました。
新幹線は長旅になるからということで禁煙車両も連結されていましたが、
それは全16両中たった2両か3両くらいの割合でした。
私は当時から、自分では買わないけど人のタバコは吸うというタチの悪い喫煙者でしたが、
自分で吸う煙はいいけど、人の煙は吸いたくないので禁煙車両を利用していました。
そうすると、禁煙車両って一番前か後ろに追いやられていて、ものすごく歩かなければならないし、
しかもほんの2、3両しかないので、禁煙車はものすごく込んでいるのです。
車両のなかを移動していると、喫煙車はガラ空きでみんな悠々と座っていて、
でも全員がタバコを吸っているから歩いているのもイヤになるほど煙が充満していました。
そして、やっと禁煙車に着くと煙から解放されて空気は一瞬美味しいのですが、
人がパンパンにぎっしりと座っていて、その人いきれで辛くなるという状態でした。

それが20年前。
そこから少しずつ変わっていきました。
大学ではまず教室内が禁煙になり、それが研究棟にも広がり、
喫煙所が設けられてそこでしか吸えなくなったあげく、
現在はとうとうキャンパス全面禁煙ということになっています。
新幹線も2、3両だった禁煙車両がだんだん増えていき、
あるときから逆転して喫煙車両が2、3両だけになってしばらく続いたあと、
最後には東北新幹線も全面禁煙となりました。
東北新幹線が全車両禁煙となったのが2007年3月から。
福島大学がキャンパス全面禁煙になったのが2010年1月から。
いずれも喫煙天国だった状況から15年ぐらいのうちに全面禁煙に変わりました。
20年前のことを思い浮かべると、
まさかそんな短いスパンで全面禁煙が実現するなんて思っていませんでした。
東北新幹線はさておき、キャンパスを全面禁煙にすることに私は賛成ではありませんが、
もはやキャンパス全面喫煙OKとか全車両喫煙OKという世界に逆戻りすることはありえませんね。
世界はこんなにもガラッと変わってしまえるのです。
世界は変わる!
世界は変えられる!
次回はまた別の事例を挙げてみることにいたしましょう。