岩波書店の 「高校倫理からの哲学」 シリーズ第3巻 『正義とは』 が刊行されました。
先月、第1巻 『生きるとは』 と別巻 『災害に向き合う』 が刊行されたところですが、
刊行は順調に進んでいるようです。
私は今回の第3巻に、「すべての人にあてはまる倫理はあるのか」 を寄稿しています。
このブログの 「哲学・倫理学ファック」 のカテゴリーで書いてきたことを元にして、
倫理とは何か、倫理学とは何かを高校生にもわかるように執筆したつもりです。
また、別巻にはありませんでしたが、本編 (第1巻~第4巻) のほうには、
各論文に対話編が付されています。
本論のほうはいくら易しく書こうとしてもどうしても専門的になってしまうということで、
より高校生に読みやすいように、高校生と先生の対話のような形式のものを付け足したのです。
この対話編を書くのが本当に大変でした。
本論を十分平易に書いたつもりなのにさらに対話編を書かなきゃいけないって?
しかも、まったく同じテーマで別の文章を書く?
はっきり言ってこのミッションを受けたとき途方に暮れました。
まったく筆が進まず、全然書ける気がしなかったものです。
まず、登場人物を誰にするのかというところですでに立ち往生してしまいました。
この手の対話編はたいてい高校生の男の子と女の子、そして先生の、
3人の対話にするというのが常套手段です。
知り合いの高校の先生はいくらでもいるので何とかなりそうでしたが、
哲学談義をするような高校生というのがまったくイメージできなかったのです。
悩んだ挙げ句、ある既製の物語からキャラクターを拝借してくることを思いつきました。
具体的な人物像が思い描ければ、彼らの会話もすんなり書けるのではないかと思ったのです。
この作戦は大成功でした。
あれほど重かった筆がスラスラと運んでくれるようになり、
締め切り間際のほんの数日のあいだで一気に書き上げることができました。
当初はその借りてきたキャラクターの名前をそのまま出していましたが、
やはり出版の都合上それはまずかろうということになり、すべて名前は変えてあります。
が、わかる人にはわかってもらえるのではないでしょうか。
いや、設定もだいぶ変わってるしちょっとムリかな?
もうひとつ工夫した点は、3人の討論にしなかったということです。
いろいろ2人が言い争った挙げ句、最後、先生が総合的な結論を言ってチャンチャンという、
ヘーゲル的な対話法 (=弁証法) にしたくなかったのです。
そこで、けっきょく最大5名の、しかもだんだんと人が増えていくというスタイルにしました。
イメージとしてはいつもやってる哲学カフェを意識しました。
雑多な人々がそれぞれの立場から思い思いのことを自由に発言し、
先生はそのみんなの議論のファシリテーターに徹するという感じです。
また、「すべての人に当てはまる倫理はあるのか」 という問いを考えてもらうために、
登場人物の多様性にも配慮しました。
ただ闇雲に登場人物を増やしたわけではなく、
この世にはいろんな人がいるということを感じてもらえるような5名にしたのです。
さて、はたしてこの試みがうまくいったかどうか。
特にこの対話編は最後は書いていてけっこう楽しくなったので、
ぜひ皆さんにお読みいただき、感想や意見などをいただければと思います。
登場人物がもともと誰だったのかも自由に想像してみてください。
コメント欄にいくら書き込んでもらっても、出版の都合上、
公共の場で正解を発表するわけにはいきませんが、
皆さんが勝手に推理してみたり、それについて議論したりするのは自由です。