中日新聞の「くらしの作文」に「10円の学び」というタイトルで、46歳の教員の女性が投稿されていました。
野球少年である小学5年生の息子。
小麦色に焼けた肌が、夏休みの頑張りを物語っている。
最高気温が39度の猛暑日。
午前中、いつも通り野球の練習だった。
友人と自転車で、45分かけて通っている。
いつもなら、昼に練習が終わり、1時ごろには帰宅する。
この日は、1時を過ぎても帰って来ない。
熱中症で倒れているのでは、交通事故に遭っているのでは、とさまざまな心配がよぎった。
自宅の電話が鳴り、警察署からだった。
胸の高鳴りが最高潮に達した。
「息子さんが・・・」。
10円を拾い、警察署に届けに来たとの連絡だった。
胸を撫で下ろした。
と同時に、金額の大小にかかわらず、相手が子どもであっても職務を全うしている警察官の親切丁寧な対応に、地域が守られていると感じた。
帰宅後、事の経緯を尋ねた。
友人と3人で練習帰りに10円を見つけた息子、拾い上げた友人、警察署に行こうと提案した友人。
3人が同じ気持ちになったそうだ。
家とは反対方向ではあったが、学校で地図記号を学び、警察署がどこにあるのか知っていたとのこと。
毎日の学びが生活に活かされた実感。
地域に守られながら、大きく逞しく育ってほしいと願う出来事であった。
以上です。
子供達3人は、家とは反対方向にある警察署に10円を届けるなんて立派です。
受け取った警察官の対応も立派です。
まずは10円玉を失くしたと言ってくる人は、皆無だと思います。
届けられれば、事務処理を行わなければいけません。
おそらく誰も取りに来ないのでは。
そうなると受け取った警察官は、また事務処理を行わなければならないでしょうね?
かみさんの話では、うちの息子も小学生の頃10円を拾ったそうです。
派出所に届けると、警察官が自分のポケットから10円玉を出し「おじちゃんのお金をあげるね」と言って、息子に渡されたそうです。
おそらく誰も取りに来ないと分かっているので、それに付随する事務処理が大変なのでご自分のお金を息子に渡されたんでしょうね。
そのお気持ちよく分かります。
「1円をおろそかにすると、1円に泣く」と言いますが、私が道端で10円玉を見つけたら拾ってポケットに入れるか、それはたとえ10円玉でも後ろめたいので拾わず通り過ぎるかどちらかですね。
5千円以上だったら届けますが、千円だったら届けません。
自分のものにしてしまいます。
夏の日の1993