団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

高石ともやさんの「受験生ブルース」は、深夜放送でよく聴きました。

2024-08-25 00:37:11 | 日記
 中日新聞に下記の記事が載っていました。

 中日春秋
 2024年8月22日 

 ブルースは米国の黒人の悲哀を歌う大衆歌曲。

 高石ともやさんが1968年に歌った『受験生ブルース』は受験生の悲哀を描いた。

 <昼は悲しや公園へ 行けばアベックばっかりで 恋しちゃならない受験生 やけのやんぱち石投げた>。

 高校3年生だった中川五郎さんの詞に高石さんが曲をつけたが、流れるとラジオを切る受験生もいたという。

 詞の一節<母ちゃんも俺を激励する 一流の大学入らねば 私しゃ近所の皆様に あわせる顔がないのよ>を削ってと訴える母親もいた。

 高石さんが共著書で明かした話で、耳をふさぎたくなる当事者らもいるほど切なく響いたらしい。

 高石さんが亡くなった。学生や労働者の集会で歌い「関西フォークの旗手」と呼ばれた。

 ベトナム反戦の歌などで知られるが、人の素朴な心も歌った。

 『チューインガム一つ』は小学3年の女児の詞に曲をつけた。<せんせい おこらんとって>と年下の子と一緒にチューインガムを盗み見つかったと告白する。

 <おかあちゃんは まだ さみしそうにないている せんせい どないしょう>。更生施設で歌うと聴く少女らは泣いた。

 自分が歌いたいのは<わかものが、人が、生きていく時に感じるすべて>と書き残している。

 <恋も、政府抗議も、風景も、悲しみも、喜びも、労働も、笑いも…>。言い換えれば大衆のブルースだろうか。心に響いた。

 以上です。

 高石ともやさんが、8月17日82歳で亡くなったとの訃報が、ネットで流れていました。

 高石ともやさんといえば、マラソンランナーとしても有名だったと思います。

 高石ともやさんの「受験生ブルース」は、深夜放送でよく聴きました。

 その頃は受験生でなく、大学生でしたが。

 「受験生ブルース」が流行っていた頃、ザ・ダーツの「ケメ子の歌」も、よく深夜放送で流れていたと思います。



受験生ブルース/高石友也【フォーク名曲シリーズ】
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