中日新聞に下記の記事が載っていました。
中日春秋
2024年8月22日
ブルースは米国の黒人の悲哀を歌う大衆歌曲。
高石ともやさんが1968年に歌った『受験生ブルース』は受験生の悲哀を描いた。
<昼は悲しや公園へ 行けばアベックばっかりで 恋しちゃならない受験生 やけのやんぱち石投げた>。
高校3年生だった中川五郎さんの詞に高石さんが曲をつけたが、流れるとラジオを切る受験生もいたという。
詞の一節<母ちゃんも俺を激励する 一流の大学入らねば 私しゃ近所の皆様に あわせる顔がないのよ>を削ってと訴える母親もいた。
高石さんが共著書で明かした話で、耳をふさぎたくなる当事者らもいるほど切なく響いたらしい。
高石さんが亡くなった。学生や労働者の集会で歌い「関西フォークの旗手」と呼ばれた。
ベトナム反戦の歌などで知られるが、人の素朴な心も歌った。
『チューインガム一つ』は小学3年の女児の詞に曲をつけた。<せんせい おこらんとって>と年下の子と一緒にチューインガムを盗み見つかったと告白する。
<おかあちゃんは まだ さみしそうにないている せんせい どないしょう>。更生施設で歌うと聴く少女らは泣いた。
自分が歌いたいのは<わかものが、人が、生きていく時に感じるすべて>と書き残している。
<恋も、政府抗議も、風景も、悲しみも、喜びも、労働も、笑いも…>。言い換えれば大衆のブルースだろうか。心に響いた。
以上です。
高石ともやさんが、8月17日82歳で亡くなったとの訃報が、ネットで流れていました。
高石ともやさんといえば、マラソンランナーとしても有名だったと思います。
高石ともやさんの「受験生ブルース」は、深夜放送でよく聴きました。
その頃は受験生でなく、大学生でしたが。
「受験生ブルース」が流行っていた頃、ザ・ダーツの「ケメ子の歌」も、よく深夜放送で流れていたと思います。
受験生ブルース/高石友也【フォーク名曲シリーズ】