中日新聞の「今週のことば」に和田重良さん(NPO法人・くだかけ会代表)が、「父によう似た声が出てくる旅は悲しい 種田山頭火」の句について語られています。
アチコチの寺から「たより」がよく来ます。
尾崎放哉(ほうさい)や種田山頭火の自由句は皆さんお好きなようで昔からよく目にします。
この句もそんなところで目にしたのだと思います。
昔、何かの作業をしている時に「おやっ? この手の形や仕草は父にそっくりだ!」と思ったことがありました。
先日、ラジオを聴いていたら「父は七十五歳で亡くなったのだから僕もあと数年です」と言っている人がいました。
年齢を重ねてくると父や母の人生の軌跡となぞらえて、自分の老いを背負っていくものなのですね。
父と僕は別人格で、そりゃあなぞらえることはないと思います。
そっくりなハゲ頭の形、クシャミや咳の仕方もまるで生き写しとなり「人生」を味わいながら複雑な思いになるのです。
「かなしい」は哀しいのか愛(かな)しいのかとても複雑ではありますが。
以上です。
>父によう似た声が出てくる旅は悲しい
自分の声と父の声が似ていたのかどうか分かりませんが、息子と孫三人の声はそっくりです。
電話に出る声は、息子か孫か判別できないので「誰」といつも聞いています。☺️
>先日、ラジオを聴いていたら「父は七十五歳で亡くなったのだから僕もあと数年です」と言っている人がいました。
私も父の歳を越えるのを目標にしていました。
うちの父親は七十四歳でなくなりましたので、とりあえず七十四歳を越えるのを目標にしていました。
かみさんが「もうお父さんの年齢を越えている」と言いました。
父親は3月生まれで8月に亡くなりましたので、七十四歳と五ヶ月、私は4月生まれですので七十四歳と六ヶ月。
確かに一ヶ月父より長く生きたようです。
取り敢えずの目標をクリアしたようです。
内気なジョニー/ジョニー・ソマーズ