中日新聞の「くらしの作文」に「『ありがとうが』が言えて」というタイトルの記事が投稿されていました。
私と娘とは、彼女がまだ小学生だった頃から、うまくいかなかった。
母親の言葉ではないと思うが、とにかく何を言ってもやってもぶつかってしまう。
娘は成人した頃、大学を辞めて家を出て行った。
時々家にやってきても、何となくぎこちなかった。
そんな娘が遠方に嫁ぎ、里帰り出産をすることに。
「何ヶ月も帰ってきて、大丈夫だろうか」と帰る前から不安だらけだった。
ところが、一人で暮らし、結婚をして、いろいろ経験してきたのだろうか。
あんなに「ありがとう」が言えなかった娘が、何度も何度も「ありがとう」を口にした。
台所に二人で立って、調理を分担しながら並んで食事を作った。
初めてだったかもしれない。
孫の誕生で、子育てに日々奮闘する娘を応援したい気持ちと、母の立場になった娘の親への思いが、長い間の溝を埋めてくれたようだ。
家事を手伝ってくれる娘に、私も「ありがとう」と返した。
親子だけれど「ありがとう」と言われると、何だかうれしい。
娘によく似ている孫の顔を見ると、母娘の関係を悩むことのなかった頃の娘との楽しい時間を思い出す。
二十年以上過ぎ、こんな時間を持てたことに、心から「ありがとう」と思う。
以上です。
一般的には娘さんが親になられてお母さんの立場が理解できて、親の苦労が分かったんだなと思うでしょうね。
私はラジオの人生相談を、日曜日以外毎日聞いていますのでそうは思いません。
おそらく出産を機に、お母さんをもう許してもいいかなと思われたのでは。
>私と娘とは、彼女がまだ小学生だった頃から、うまくいかなかった。
母親の言葉ではないと思うが、とにかく何を言ってもやってもぶつかってしまう。
娘は成人した頃、大学を辞めて家を出て行った。
時々家にやってきても、何となくぎこちなかった。
これってまだ小学生の娘さんが取る行動。
きっとお母さんが自分の価値観を押し付けて、小学生のお子さんがだんだんイヤになってきたのでは。
また失礼ながら、ご主人との仲があまり良くなかったのでは。
小学生のお子様は、ご両親に気を使って生きるのがイヤになったと思います。
私はご両親に問題あったと思っています。
小さな日記(幻のフルバージョン)