中日新聞の読者投稿欄に「桜並木の詩 宿題の記憶」というタイトルで78歳の女性が投稿されていました。
私は小学生のとき消極的な子どもでした。
それでも読書が大好きで図書室で本を借りたら自宅への足取りは軽くなりました。
六年生の春、詩を書く宿題が出され、桜並木を一人で歩きました。
眼前の美しい情景は想像をたくましくして幸せな気分になり、鉛筆を滑らかに動きました。
風に舞う花びらがひらひらと降り柔らかな日差しに心は満たされて・・・・。
こんな趣旨の詩をすぐに書き終えることができた。
翌日、詩を提出したら担任の先生から「何かの本を写しましたね」と言われました。
内気で成績も良くない私に、これほどの詩が書けるはずがないと思われたのでしょう。
顔を赤らめ、私はうなだれていました。
この悔しさが、卒業後に進んだ中学校で私が奮起する源となりました。
以上です。
>翌日、詩を提出したら担任の先生から「何かの本を写しましたね」と言われました。
内気で成績も良くない私に、これほどの詩が書けるはずがないと思われたのでしょう。
この担任の先生、先生の資格なんてないでしょうね。
彼女は勉強は出来なくても読書好きで本をたくさん読んでいます。
文才はあったと思いますが、それを見抜けず自分の生徒の才能を疑うなんて。
彼女はこの辱めを奮起する源にして、中学校では成績優秀な生徒になったようですから良かったですが、これが逆に勉強が大嫌いになってしまったら、担任の先生の罪は大きいと思います。
仮に何かの本を写したと思っても、「良い詩を書きましたね」と誉めてあげれば、彼女にとって自信につながり、先生のことを一生の恩師と思ったでしょうに。
いまだに彼女はこの悔しさを忘れていないようです。
思いで…~唄 因幡 晃 (日本のシンガーソングライター)